daily  AyameX  NEWS 2001 01-06

あべの古書店二代目の日々

6月30日

おきゃく論 一名当世紳士論/鬼面居士/楽天社/大正2年再版・奥付に蔵書者の印アリ/5000円 ご注文

序言
鬼面居士、そも何處の何奴なるぞ。敢て泰平の代のお客の裏面をスッパ抜き、当世紳士の面の皮をヒン剥かんとはする。抑々又鬼面を被つて、東洋の一等國の世界的紳士を威嚇さんとするは、無禮であらう、卑怯であらう、すざり居らう。と、お叱りを受けるは覚悟の前。ではあるが、居士の鬼面を被れるは、敢て当世紳士を威嚇さんとするのぢやない。有體に自白す、居士は至て臆病ものであるのぢや。その表面は、頗る酒々落々たるようで、内實なかなかに邪推深く、執念深きこと、般若のような夜叉のような当世紳士の、睨みが怖い、後の祟りがおッかないからであるのぢや。
言うなれば奇書であるのぢや。「お客道」を論じているようなのだが、ぱらぱらと目を通しただけでは、なにがなんだかさっぱり判らぬ。
目次から章題を二、三、抜粋してみる。
お客振りの變遷 野獣主義と江戸趣味
新武士道とお客道 乃木大将の死は殉死にあらず
藝者の改良とは何ぞ 藝術は成らず先づ堕落せる女優
ますますもって不可解なのぢや。

6月29日

秘密寶鑑/健齋居士/清文堂書房/大正9年/6000円 ご注文

まずは「序」から。

  序 世の中の發達に供ふて何事でも時間と經濟の必要がある−趣味でも−讀書でも皆そうである されば本書を合冊刊行するのもその意味であって現今既に数千部を賣盡し市中の紙價を高めたる好評湧くが如き珍書−益書を諸君に便益上から提供するのである 而して秘密寶鑑なる總稱名も自らその内容は素より秘術−機密に亘る方式が多いからである 讀者それその意を諒せよ
いくつかの項に分類されているので、ここに列記する。
●空手護身術篇
●魔術千里眼篇
●心中千里眼
●催眠術秘傳篇
●新式記憶術篇
むう、まさしく秘術。空手というのは素手の意である。「■活用柔術の秘奥」から、「■忍術虚實法と遁形術」「■禁厭術の方式」「■眞言秘訣護身法」と、目次を見るだけでもドキドキしてくる。

次に、例えば「魔術千里眼篇」より以下のような妙法。
  ○人を笑はせる妙法
 南天花、白陽、奇青、恬散、苓仁草、有聲、以上六種を粉末にして一合の水に二十匁位を溶解し、之を人に飲ませると忽ち快氣立ち恰も狂氣の如く笑ひ出し、如何にしても止まない、一時間も二時間も笑ひ續けるが之に少量の焼酎を飲ませると忽ち止む。
なんだか危険そうな妙法だ。更にはこれ。
  ○不可思議變魔術
 黒豆、貫衆、槐子の三味を粉にして乾かし之を丸薬となして、毎日六粒乃至十粒位づゝ服み、肉食、飲酒、淫欲、邪念を絶つ時は自ら神仙の能力を得。變幻出没自在なり。
ううむ、どうしたものか…。

このような「秘密」が529ページにわたって開示されております。

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青年訓練参考書/海軍省/昭和6年・背角少痛ミ、表紙三ヶ所刃物傷/2500円 ご注文

果たして如何なる経緯で当店に収まったのであろうか。本書は青年訓練所用に作成された海軍のガイドブックである。
青年訓練所は各地にあり、ここを出た入隊者には中卒者と同じように、下士官まで昇進できる権利が与えられた。ちなみに高卒の入隊者は幹部候補生の資格が取れる。

扉ページには次のように記されている。
本書ハ青年訓練所用トシテ海軍一般ニツキ説述シタルモノナリ
 昭和六年八月
        海軍省
海軍の階級、艦船の類別や構造、兵器の解説から戦闘の要領まで、平易にして詳細な内容である。旗章と萬國船舶信號旗の一覧表などは豪華にカラー印刷。図版も豊富。三枚折り込みになっている「軍艦ノ縦断面図」が、戦後少年誌の巻頭を飾った「特別大図解」を彷彿とさせる。

6月28日
トーベ・ヤンソンの訃報にちょっと沈んだ。
講談社文庫の「ムーミン」シリーズは全八巻。あべの古書店に揃っています。


書式大全/宮城山陽/博文館/大正15年再版・背、地角少破レ/1500円 ご注文

大正15年! 著者の序文から引用する。

  序
 悪い事さへしなければ法律なんか知らんでもよいといふ人がある。證文の書方など知らんでよい、必要があれば代書屋に頼むといふ人もある。然し善良なる諸君が悪い事をしないでも、他人から悪い事をされた場合は如何するか。孔子や周公のやうな聖人ばかりの世の中から、七面倒くさい法律だとか、證文だとか、そんな物の必要はないが、末世の今日『人と見たら泥棒と思へ』と云ふ事(ことわざ)さへあるではないか。
ううむ、「末世」か。まあたしかに本書の発刊は大正末年ではあるが。続いて、
 處(ところ)が日常法律に関する書式の一般を心得ておけば、滅多に人に騙されたり、権利を侵害されたりするやうな事はない。正確なる證文の書方、公式の願出、届出等一通りの手続を心得て居れば、一々人に頼む世話はない。
なるほど、これは便利だ、心強い。だが目次でいきなり仰天した。

 第十三 藝娼妓雇入契約の場合
▼藝妓を抱へる時の心得 藝娼妓の身賣をする時には、大抵一種の叙情詩がある。悲劇がある。その叙情詩や悲劇の起る原因は何であるかと云へば、大抵本人の戀愛の縺れの結果とか、自堕落の果(はて)とか、又は父兄兄弟の犠牲になるとか孰(いづ)れ目出度からぬ結果である。だから一旦泥水稼業に身を沈めても、機會があれば脱れ出やうとする。恰かも動物園の虎の如きものである。

叙情詩! 「自堕落の果」というフレーズも凄いが、「父母兄妹」ではなく「父兄兄弟」の犠牲になるという件に味がある。
この続きが、知りたいですか?

6月27日
いやはや、もう6月も終わりではないですか。
下の日付より既に40日が経過。もたもたしているうちに、今月もちくま文庫の「怪奇探偵小説傑作選」が出ているはず。第五巻は『海野十三集』だが、本屋へ行っていないので判らぬ。

そして本日もペヨトル本が届く。
マンディアルグ『みだらな扉』。

この間、いろいろな事がございました。
鳥肌が立つような買い入れもございました。

ライブで共演させていただいたJINMOさんとは初対面でしたが、開口一番、「水銀座のホームページ、見てますよ」と言われ、びっくら仰天いたしました。
なんでもJINMOさんはペヨトル工房のファンで、社主の「解散日記」をずっと読んできたそうな。うぬぬ、「因縁力」。ペヨトルがつなぐご縁でありました。

日々の愚痴ばかりではなく、古書者としてなにか世のためになるような事をしようと、急に思い始めました。ただなんとなく。
で、買い物の報告ではなく、「売り物」を紹介しようではないかと、ちょっと商売ッ気を出しまして。といってもなにしろ持久力がないので、ぼちぼち。

株式相場實戰秘訣/松尾五郎/證券投資研究社/昭和10年六版/1200円 ご注文

昭和10年…。著者は『経済報国』の念願を固めて本書を綴ったという。相場の極意書というか、指南書のようだが、以下のような記述を読むと、なんだか心許ない。

  理と非との中に籠れる理外の理 米の高下の源と知れ(太極)
 この歌は、相場の変動が必ずしも経済上の理論や普通の常識を以て測知し難きを示したもので市場の諺にも、『相場は理屈通りに行かぬ』と云ひ、又『相場は時に二二が三となり、五にも六にもなる事がある』といってゐるのも、相場に『理外の理』のある事を現はしたものであります。
更に松尾五郎氏は『商機』の著者野城久吉氏の「相場は理外の理の發作なり。」と始まる一文を引用した後、こうまとめる。
 恐らく社會に相場なるものゝ存在する限り、高かるべきに安く、安かるるべきに高き『理外の理』は、永久に『理外の理』として存在し、如何なる識者にも學者にも解釈せらるゝ事なく、不可解の謎として残さるゝものかと思ひます。
「相場師道」というものもあるようだ。

 今後益々、我國の精華たる武士道にも比すべき、相場界特有の、信義、廉潔、勇氣、度量等の美点に對して之れが發揚に勉め、永久に『相場師道』として、我が投機市場の誇りとせんことを欲します。

むう、難しい。

5月17日
もたもたしているうちに、今月もちくま文庫の「怪奇探偵小説傑作選」が出てしまった。第四巻は『城昌幸集』。オビの惹句が凄い。
人生の怪奇を宝石のように拾い歩く詩人
「宝石のように・拾い歩く」? ううむ、意味わからん。
浅学菲才の身でございます、著者は「若さま侍」の作家としか存じません。これを機に、勉強させていただきます。

本日もペヨトル本が届く。
夜想19 幻想の扉
WAVE18 フォト新世紀
WAVE25 151年目の写真
WAVE30 写真の60−70年代

5月16日
インターネットで注文をしたペヨトル本が届いた。
WAVE33 アーティストファイル
WAVE34 音楽都市ベルリン1918−1945

5月13日
『だれが「本」を殺すのか』(佐野眞一)を一気読み。現在の出版業界が抱えている様々な問題を詳細にリポートしたこの本もまた、「本を殺す」ことに加担しているように思いました。「本の流通」を語っているだけで、「本」そのものの魅力を読者に知らしめるわけではないから。 『だれが「本」を殺すのか』と一緒に購入したのが『文庫本を狙え!』(坪内祐三)。なんとなく目について買った。文庫本154冊のブックレビュー。これが当たり。著者はぼくと同世代。文体と相性がいいのか、紹介されている書物が次から次へと読みたくなる。全点読破を目論見、リストをつくってしまった。

5月5日
いやはやたまげたのなんの、「2ちゃん」に水族館劇場のスレッドがたってる。

5月1日
ひさしぶりに新刊書店のハシゴをした。可笑しかったのはE書店の棚。若者向けのTATOO本数種類が、家紋の本なんかが置いてあるコーナーに並んでいた。ナイス。
雑誌といえどもその値段はばかにならない。仕事絡みで、「特集・古本道」の『東京人』と「特集・個性派書店探検術」の『ラパン』を買ったが、いずれも千円近い定価。それを思えばペヨトル工房の出版物がなんと安かったことか。

荒俣宏が平凡社の地下室で、古書肆「荒俣まぼろし堂」を開いていたっての、これってホント? 『ラパン』に掲載した「古書目録」の価格もやけに安い。平凡社ビル解体にともない破棄したという、ダンボール二百箱分の書籍が惜しまれる。

ついでに。
浦沢直樹『20世紀少年』の5巻も買ったんだけど、奥付を見たら、「2001年6月1日初版第1刷発行」だって。なんで1ヶ月も…。


4月29日
なにをいまさらではあるが、ウィリアム・ギブスン『ヴァーチャル・ライト』を一気読み。懐旧の感にひたる。でも以下の引用は、今なお「生き」だと思うけど。

あの少女が自転車で往復する多くのオフィスは、電子的に接続されている−それは事実上ひとつのデスクトップ・コンピュータであり、地図上の距離はコミュニケーションの均一性、即時性によって消去される。にもかかわらず、肉体による郵便物配達を不経済な方式として廃れさせたその均一性が、ある一面では意外に穴が多いことを暴露もしあの少女が提供するようなサービスへの需要を生みだしたのかもしれない。ほとんど情報だけで成り立つグリッドに関する情報の一片を、自分の肉体で配達することによって、あの少女は流動するデータの宇宙にいくらかでも絶対の安心感を持ち込んだ。あの少女のバッグにメモを預ければ、その所在は正確にわかる。さもないと、電送の瞬間に、そのメモはどこにも存在しないか、いたるところに存在することになる。 −『ヴァーチャル・ライト』P98 浅倉久志訳


4月27日
注文した書籍が届いた。
EGO 創刊号 ポスト・インダストリアル・ストラテジー
rock magazine 第2号
rock magazine 第3号
rock magazine 第4号
ur2 ポストモダン・ミュージック


urの2号は以前他のネット古書店でも見つけたが、その時は既に売れていて、長期戦になるかと思っていたところ、存外すんなりと入手できた。


4月26日
ずっと昔に観た映画、草間彌生の『自己消滅』。どこで観たのかが思い出せない。今日たまたま来店したMが『自己消滅』を観ていたはずなので訊ねたところ、Mはフィルムを佐藤重臣さんから借りて観たのだと言う。沼津で上映会を開き、他にもスタン・ブラッケイジの作品を上映したのだそうだ。知らなかった。Mの話では、静岡の「美術舎」というギャラリーでも『自己消滅』は上映され、その時に併映されたのはジョナス・メカスのサーカスの映画だったそうだ。知らなかった。俺はどこで『自己消滅』を観たのだろう。ジャズ喫茶の「JuJu」で、ブニュエルの作品が同時上映されたような気もするのだが。フィルムを所有していたのがサトウオーガニゼーションだったとすると、「アートシアター新宿」で観たのか? 健忘。なさけなや。

水銀座の座員、松原三保乃が、ウチで預かっていた「第三回一人+α芝居フェスティバル」のチラシを受け取りに来店。お手数をかけましたと、「追分羊羹(きざみ栗入り)」を手土産に持ってきた。好物!

帰宅すると、SPACから「野外劇場フェスティバル2001」の参加申し込み書が送られてきている。募集のチラシに昨年の水銀座公演の舞台写真が使われている。中央に主役然として立ってる奴、誰かと思ったら土門土門エ門だった。


4月25日
水銀座が月例で行っていた芝居の会は、土門土門エ門によって引き継がれた。4月30日には、Cafeういんなで「演劇道場 Vol.23」を開く。出演は他に菊次郎とキートン。ネタおろし。大丈夫か?


4月14日
ラジオで臨時ニュース、三波春夫の訃報。店内の在庫を探したら、一冊だけだが三波春夫の著書が見つかった。
すべてを我が師として/三波春夫/映画出版社/昭和39・F氏への献呈サイン入り・箱少イタミ/2500円
この本、サイン本だったのか! 口絵写真も豊富。


4月13日
ちくま文庫「怪奇探偵小説傑作選」第三巻「久生十蘭集」が出たが、まだ「横溝正史集」を読み終わってない。
「横溝正史集」に収録された『鬼火』や『蔵の中』は高校生の頃に角川文庫で読んだ。本当に読んだのだろうかと首をかしげるくらい、内容を忘れている。『鬼火』では、互いにからまりあって巨大なボール状になった蛇の一群の中に、主人公が腕を突っ込む場面をかろうじて憶えていたので、読んだことは間違いないようだ。
『蔵の中』の記憶は完全に消滅。その昔、恥ずかしいことに映画まで観たのに(ニューハーフ映画…)このていたらく。


4月6日
静岡浅間神社廿日会祭が終わり、ようやく更新気分になったなり。

3日夜半の地震には驚いた。
静岡で震度5以上の地震が起きたのは66年ぶりだそうだ。ってことは、俺が初めて体験する震度5+。
つぎにもっと大きな揺れが来るかもしれないと、びくびくしながら帰宅した。
十二双川が道路に沿って現れるあたりで、パジャマ姿のおじさんが懐中電灯で川を照らしていた。なにを見ているのかと川をのぞくと、おじさんはやおら解説を始めた。
「河床に穴があいているだろう。水が噴き出しているのが判るかね? おかしいなと思っていたんだ。この川は巴川に続いているんだよ。断層が出来ていて、それで水の流れがおかしくなっているんだな」
十二双川はもともと湧水の川だから、水が噴き出しているのは当たり前なのだけど、川の横の新築アパートに住まうパジャマ男は、どうやら十二双川についてご存知なかったようだ。 たぶん最近越してきたばかりなのだろう。
「今の地震は巴川に沿って起きた」と危機感を露わにするおじさん。デマというものはこういうところから生まれるのかと思った。

3月17日
「くだらないっ、くだらないっ、くっく、くーだらない♪」と唄うキーボード漫談の芸人、なんて名前だったかな?
これってくだらないかも、と自嘲しつつ、ずんずん読んでしまったのが『致死性ソフトウェア(新潮文庫、上下巻)』でした。当方いまだ自分の機械の中に何が入っているのがさっぱり判らず、こういう小説に書かれていることを鵜呑みにしてしまうから、いずれはこっぴどく赤っ恥をかきそう。


3月14日
このところ「和尚」の本がよく動く。買いもあり、売りもあり。精神世界系の本で、この「和尚」なる人物、写真を見る限りでは、バグワン・シュリ・ラジニーシのようなのだが。いつから「和尚」になったのだろう? オウム事件以降、ニューエイジ宗教はガタガタだったが、ブーム再燃の兆しがある。しかし、オショー、うーん、この響き、いかがなものか。


3月13日
紀尾井」の名料理人があべの古書店に来店、澁澤龍彦『高丘親王航海記』をお買いあげ。その後、料理人は自転車の鍵がないと騒ぎだし、「おかしいな、俺、どこに入れたのかな、早くもアイツハイマーか?」と困惑。
結局、自転車には鍵がかかっていなかったのだった。今日の後悔記を公開。


3月11日
ちくま文庫から刊行中の「怪奇探偵小説傑作選」に注目。ついに岡本綺堂の『青蛙堂鬼談』が読める。


3月9日
ぼくはMacユーザーではないので、どうも書名が足かせになり、長らく『Mac評判記』(1991年・ペヨトル工房)は縁なきものと決め込んでいた。
ところがあにはからんや、読んで驚き、『Mac評判記』はMac本というよりもその中身はむしろ、ペヨトル工房総帥の今野裕一とその友人たちが勢いで作った、所謂「今野本」であった。
映画『トータルリコール』の話題で盛り上がり、サイバーパンクの流行を厳しく諫め、テレビゲームを熱く論じるかたわらで、F1に言及するといった具合である。
すなわち、Macを取り巻く1991年日本の文化領域を、「熱血」のノリで語りまくる。
「だから、このフォーラムの記録も浮世絵と同じですよね。写楽がいま6000万円だというから、この本も21世紀には高い値がつくかもしれない。(笑)」という今野裕一の弁には、思わずア痛タタではあるけれども、この時、今野裕一37歳、恐い物なしだ。
特に今野が一人のテレビゲームファンとして、ゲーム攻略本を激烈に批判してゆく(出版社、名指しで)くだりは圧巻。熱い。アッチッチである。
ぼく自身、27歳にしてビデオゲームにハマってしまい、日々ゲームセンターに通うようになった過去があり、また当時発売された『ドラゴンクエスト3』にも格別な思い入れがある。 「RPGのようなゲームは真剣に遊ばせるために、やり直しがきかないようにしてしまえ、主人公が死んだらそのソフトは制御がかかってもう使えなくなる、そのかわりにソフトの価格を100円とか200円とかにして、子供は主人公が死ぬたびに駄菓子屋に走る」
今野のアイデアだ。笑いつつ、なるほどこりゃイイな、と思った。
今野裕一の『テトリス』に対する偏愛も見ものだ。ペヨトル工房から『銀星倶楽部別冊・テトリス10万点への解法』が刊行されたのも道理。

そういえば6、7年前、ぼくの父が足を骨折して身動きがとれなくなった時、ぼくはボケ防止対策として、父にファミコンをやらせたことがある。ファミコンに『テトリス』、『ドラクエ』、それから麻雀、将棋、野球ゲームなどのソフトをつけた。父は他のゲームには目もくれず、家人が呆れ返るほど、昼夜を問わず『テトリス』で遊び続けた。花火が上がるたびに大声で母を呼びつけ、相当に嫌がられたらしい。
六十歳を越えて初めてファミコンに触り、怪我が治るやいなや、父はインターネットというのは何だと言いだし、ほどなくして自力でウェブショップを開設してしまった。
京都の古書組合がサイトを立ち上げたのとちょうど同時期、静岡にはまだプロバイダーが二つしかなかった。
今野裕一はコンピュータが人間の精神をどう変えてゆくのかと問う。ぼくは直観的にだが、『テトリス』が老いゆく父の精神になんらかの「力」を加えたように思うのだ。
ドラッグによる変成意識状態は、しばしば戻れなくなることはあるにしろ、基本的には「行きて帰る」ものだ。けれどもコンピュータによる意識変化は後戻りがきかない、一方通行のイキかたであるように感じる、「行きて変える」、これまた直観的にだが。

『Mac評判記』が出版された当時は、当然ながらまだインターネットは存在していなかった。この本でもネットワークの必要性が提唱されてはいるが、それはホストコンピューターのデータを末端が共有するといった程度のイメージで、現在のようなリゾーム状のウェブは全く予想されていない。
しかしだからといって『Mac評判記』の座談が陳腐なものになっているというようなことはない。例えば、熱血連がコンピュータは「想像もできないようなことを想像する(これってベケットが言ったことじゃなかった?)」ためのツールだといった類の事を言っているのだが、インターネットはまさにそのことを地でいったわけで、HyperCardの機能が全世界規模に展開されたのだと理解すれば、なるほどコンピュータは個々の性能の向上もさることながら、それを我々がどう使うかという意味において、見事な飛躍をとげたのだなと感慨深い。 (いや、実を言うと、この本を読んでHyperCardってインターネットみたいだなって思ったのでこう書いたんですが、もしかしたら全然違う?)

出版人としての今野発言には概ね賛同できる。ただ、世代差なのか、『ノーライフキング』の評価については彼我のサイキック・ディスタンスを感じる。
ぼくは八十年代に仕掛けられた永久作動機械は、浅田彰、いとうせいこう、ペヨトル工房(今野裕一)だと考えている(三者の頭文字をとって「アイコン」と称す。くっ、カッコ悪い、やめときゃよかった)。いとうせいこうの『解体屋外伝』はいま読んでも十分イケるし、ルーセル−デュシャン−ソシュールを追う論考など、ペヨトル系だと思うのだが、どうしてペヨトル工房−いとうせいこうの接点がなかったのだろうか。
とはいえ『Mac評判記』は今野裕一の本音やオタ度が身も蓋もなくさらけ出され、「反語」で責める今野のスタイルがいかんなく発揮された楽しい本だ。ペヨトル工房のデザイナー、ミルキィ・イソベが、「磯部」の名で登場していることも要チェック。
ぼくはこれ以外ではミルキィ・イソベの肉声(?)は知らない。

ノスタルジー、ないこともないが、それ以上にリアリティの所在や意識変容といった問題は、この十年で全く進捗がないことが判った。


3月3日
もう行かなければならない。わたしはこれから死ぬために、諸君はこれから生きるために。しかしわれわれの行く手に待っているものは、どちらがよいのか、誰にもはっきり分からないのだ、神でなければ。
『ソークラテースの弁明』(田中美知太郎訳)


2月20日
二十数年ぶりに梶井基次郎の『檸檬』を読み返したりしている。本当に二十一世紀になったのか。まだピンとこない。北条民雄の『いのちの初夜』はよかった。こういう素敵な小説があったとは。久生十蘭の『黄泉から』もいい。岡本綺堂も。新世紀などいらないぞ。


2月18日
中井英夫『虚無への供物』を読み終えた。「因縁力」小説。京極夏彦につながってゆくように思えるのが、俺の限界なのか。


2月4日
ちっくしょおお、やられちまったあ、『クリムゾン・○○○』、思いっきりハズシた!
問題。伏せ字に入る文字は? 正解は次の三つのなかに。
1−タイド 2−リバー 3−キング
オープニングのクレジットでドミニク・サンダがゲスト出演しているって知って、ドキドキしちゃったんだぞ、こんちくしょうおお! あれじゃあんまり……。予想通りの展開だっただけに、トホホ感もひとしお。
まだ俺が半ズボンはいていた頃、観ましたよ、ドミニク・サンダの『初恋』って映画。ツルゲーネフ原作のやつ。たしかあれがデビュー作だったのでは。なーんかあの頃って、白人美少年ブームってあったよなー。で『初恋』も、少年役のジョン・モルダー・ブラウン(だったか?)くんに話題が集中しちゃってたように記憶している。どうなっちゃったんでしょうね、ブラウンくん。あと、マーク・レスターとかレイモンド・ラブロックとかレナード・ホワイティングとかエマニュエル坊や(違うか)とか。
あ、ドミニク・サンダなんだけど、俺は東宝映画『サンダ対ガイラ』のトラウマがきつくって(笑)、「サンダ」って音の響きでちょっとしぼんじゃうところがあるんだな。好きなのに辛い。
あ、『クリムゾン・○○○』なんだけど、悪趣味な上に全編ネタばれっていうか、アイデアの出典がみえみえ。ここの仕掛けはあの映画、この音楽はあの映画って具合に。あ、ひょっとしてそういう趣向の映画? オタ系の、ネタ元探し映画? って言ってる俺もオタ自慢。慚愧。
いきおいあまってゴーゴリの『妖女』を読んだ。


2月3日
うすらぼんやりと生きているから、ムカつくなんてことはまずない。それでも、「書くという血腥い行為」この修辞にはムカついた。ただなんとなくムカついた。かなりハッキリと。
ここのタウさんに同意!
売れているんだろうな、柳美里の本。あべの古書店にもあるけどね、『家族シネマ』と『命』。怖い物見たさで読んでみたい気もする。ああ、このセンで皆も読んでいるのかも。やめやめ。かわりになんとなく『野火』を読んだ。


1月26日
しおやくん、心配してくれてありがとう。俺は大丈夫だ。文化・芸術よりも大切なことがある。俺は「人情」宣言しただけだ。


1月25日
『トーク・ノーマル(ペヨトル工房刊)』『トータル・パフォーマンス』と立て続けに(←ボキャブラリー減少中)ローリー・アンダーソンの本を読んだ。その結果、なんとなく、漠然と、気持ちが離れてしまった。80年代の音源を聴き直して白黒ハッキリさせようと思っているのだが、レコードもテープもビデオも、いったいどこへしまったのか見当がつかない。くすぶっている気分。もっともぼくが首をかしげたローリー・アンダーソンの発言にしても十年も前のものだから、今はもう、いや、更にひどくなっているかも…。

「すっとんしずおか昔話」1話収録。小姓を鞭打つ田舎侍の役。ううう、デニス・クーパーに流される。

U・W・Fのビデオ、3本もらった。そのうち2本は静岡での試合。
来月、浜松での闘龍門、どうしようかな、M2K勢揃いなら観たい。ストーカー市川はもうどうでもよくなった。心変わり。

ジャン・ジュネ『薔薇の奇跡』新潮文庫。価格破壊価格(変?)で入手。

1月24日
『その澄んだ狂気に』『クローサー』と立て続けにデニス・クーパーを読んで、ちょっと気分転換したい気分(変な日本語)。

昨夜はニュース・ステーションの「BOOK OFF特集報道」をみるために早じまいしてしまった。凄いね、BOOK OFF。まだまだ伸びるんだろうな。
凄いと言えば、ペヨトル・ファンサイトのリンク集が凄い。まだまだ伸びるんだろうな。これはお宝ものだと思うよ。ウチがリンクしてあるのがなんか恥ずかしくなっちゃう。


1月20日
『サイケデリック神秘学』のこと。この本が1973年に出版されたものだということをつい忘れてしまう。30年近い時間の経過はなんの意味も持たない。最終章「二〇〇〇年〈内宇宙の旅〉」の末尾でロバート・A・ウィルソンは次のように書いている。

リアリーの有名な二戒は、私たちが論じているほとんどすべての新しい薬物にあてはまるだろう。
1 汝、隣人に意識変容を強制するなかれ。
2 汝、隣人の意識変容の試みを妨げるなかれ。
政府はこの二番目の戒律を毎日破っているのだが、今や一番目の戒律を破りはじめ、いくつかのグラマースクールの学生にリタリンの服用を強制している。これはアンフェタミンに似たドラッグで、手に負えない子供をおとなしくさせる。だが、現時点では未知の副作用をもっているかもしれない。

これは今まさに教育現場を混乱させている深刻な問題だ。

1月18日
大栄出版に注文していた書籍、残り二冊(デニス・クーパーの『その澄んだ狂気に』と『ローリー・アンダーソン トータル・パフォーマー』)が届いた。クロネコヤマトのブックサービスから。版元からの直送でないのが残念。
この宅配システムについては、ちょっと勘違いしていた(こればっか…)。今回配送の分は手数料がなし。ということは、発注の全タイトルが揃わない場合、納品可能な商品から随時発送し、以降の手数料はすべて無料になるってことなのかな。ああ、「ブックサービスご利用の手引き」にちゃんと書いてあった。「1回のご注文につき何冊でも380円(税込み)です。」


1月17日
サイケデリック神秘学』(浜野アキオ・訳/ペヨトル工房・刊)を読んでいる。
ぼくは今までこの本の著者、ロバート・A・ウィルソンのことをまるっきり勘違いしていた。(同名異人の演出家・美術家・俳優・肩書きいっぱいのロバート・ウィルソンと勘違いしていたというわけではない)。元「プレイボーイ」誌の編集者、ポップ・オカルト小説の金字塔『イルミネイタス』三部作の作者という程度の知識だけで、勝手にロバート・A・ウィルソン=ポップ・オカルトのグルのイメージを抱いていた。だから本書も、教祖ウィルソンが対抗文化世代に向けた、神秘学についての荒唐無稽な新「理論」かと思っていたのだ。
とんでもない誤解であった。
これはドラッグ(向精神物質)全般についてのすこぶる「真面目な」考察と報告である。
ぼくはさんざんドラッグガイドの類書を読んできたが、『サイケデリック神秘学』は入門書という条件をつければベストの部類に入る(以前はアンドリュー・ワイルが最高のスポークスマンだと思っていた。『チョコレートからヘロインまで』ね。近頃のワイル先生って癒し系一本だから別枠へ)。
歴史や文学への言及も豊富で、ドラッグと魔術との関連などにしても出典が明示されているので安心感がある。ただ、ジョージ・ワシントンが大麻の「普及」に情熱を注ぎ、合衆国南部全域に渡って栽培を広めたという件など、ちょっと眉唾な気もする。FBIがサンフランシスコの大気にLSDを散布したって話と同じくらいに。
もっともこの本に限らず、ドラッグに関する記述は、どこまでが真実で、どれがフィクションなのか、まったく見極めがつかない。下手をすると「出典」そのものが架空の書物だったりすることがあるから油断もスキもあったものじゃない。畢竟、ドラッグ効果にはプラシーボ効果も含まれているわけだから、信じていればトベるんだ、というところか。
ロバート・A・ウィルソンは、次のような節を何度も引用している。

精神の領域では、経験的・実験的に見出される諸限界内において、真実として信じられるものは現に真実であるか、これから真実となる。これらの限界もまた、乗り越えられるべき信念にすぎない。精神の領域において、限界は存在しない。……想像しうるいっさいのものが存在するのだ。 −ジョン・C・リリー

そういうことか。もしくはW・S・バロウズがよく引っぱってきた、

真実は存在しない。すべてが許されている −ハッサン・イ・サバー

ああ、こういうのもあった。

真実は存在しない。解釈だけがある

誰の言葉だったかな?

1月16日
まだ諦めがつかずに少年ジャンプを購読している。「H」はまた休載してやがる。だらしがねえよ、編集部。
面白いと思う漫画が、どうも同人誌化しているような・・・。『ピューと吹く!ジャガー』にしても『純情パイン』にしても、元ネタが判ってのウケ。前号の『ピューと吹く!ジャガー』はモーレツに笑ったけどね。「ガラカメ」ネタ、最高だぜよ(笑)。『純情パイン』のネタ、『赤毛のアン』から引っぱってきているなんて気づかなかったなあ。

1月11日
「あべの古書店」は休業。
宅配便のノックで起こされる。
ウェブで注文を出していた、デニス・クーパーの『クローサー』が届く。
代引き・・・。
三タイトル発注したのに一冊しか来ない。他のタイトルは後日送られてくるようだ。
その度に代引き? なんだか手数料(送料)が無駄に思えるけど。

この辺に獲物があるかなと、なんとなくよってみた古書店で、ペヨトル本を見つけた。当然、買い。
ur6 ヴァーチャル・リアリティ
夜想32 戯曲の力
(品切れタイトル)
銀星倶楽部13 デニスホッパー
銀星倶楽部14 オルタネイティヴ・ミュージック
(品切れタイトル)
どれも状態はいい。

SBSラジオ「すっとんしずおか昔話」、一話収録。
夜は放送劇団の新年会。


1月10日
キャサリン・ダン『異形の愛』ペヨトル工房刊、讀了。奇跡のような書物。新世紀のスタートにこの本に出会えたことは僥倖であった。これは二十世紀文化にケリをつける一冊。


1月4日
ショック!! 桂三木助が自殺!!
正月早々、暗黒じゃないか落語界!


1月3日
古書を買う。自分の好みというよりも、ペヨトル工房の「系」につないで資料的に購入。
たぶん文庫本をのぞいて皆絶版。全点するが書房でゲット(早くも死語?)した。
ur4 アンビエント・ミュージック/ペヨトル工房
日々の泡/ボリス・ヴィアン/新潮社
ユリイカ 特集・ボリス・ヴィアン/青土社
アフリカの印象/レーモン・ルーセル/白水社
外の思考 ブランショ・バタイユ・クロソウスキー/ミシェル・フーコー/朝日出版社
フリッカー、あるいは映画の魔/セオドア・ローザック/文春文庫
するが書房とはぼくが高校生の頃からのおつきあいである。当時、これぞと思うような本は、たいがいここの店で買った。「同時代演劇」誌、天井桟敷が発行していた「地下演劇」誌、唐十郎寺山修司澁澤龍彦の本も随分買った。演劇なんてものに関わっているうちに、すべて米に替わってしまったが。惜しいことをした。
つい最近、するが書房はホームページを開設した。場所はここ

1月2日
新世紀、最初に読む本をどうするか。あべの古書店が21世紀の幕開けに売った本は、第三書館『ザ・殺人術』であった。
浅間神社への初詣をかねて来店した友人は、あれこれ迷ったあげく『老人力』を買っていった。
そして俺は、キャサリン・ダン『異形の愛』を読み始めた。これが初物! いけるはず。


12月29日
うへー、NHKラジオで『若者文化 EDGE』なんてのやってやがらあ。最先端若者文化のことなんだってさ、「えっぢ」。もうこの言葉使えねェな。いや、だいぶ前から恥ずいなって思ってたけど。ホントだって。もうこのHPのタイトルから外しました!!
で、NHK的「EDGE」って何かと言うと、
まーず渋谷でしょう、
矢井田瞳(うぷぷ)
コリアンファッション(???)
「ユリイカ」(雑誌じゃなくて映画)
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
インターネット・ミュージシャン、カズカンさん(誰?)
新宿のトークライブハウス「ロフト+1」から生中継、本日の催しは「名盤解放同盟VSニュー・ロックの夜明け」(おやおや、ペヨトルネタ入ってる)
インターネット上のゲーム、「ウルティモオンライン」(ってのがあるの? これ興味あり)
押井守「アバロン」
あーあ、結局二時間聞いちゃった。
宮台真司(若者文化サブカルチャーアナリストの社会学者って肩書き)が解説ってのがまた恥ずい。あんた若者じゃないじゃん。それにしてもなんだよ、この肩書き!

浅田彰が「若者」たちを、オシャレじゃないのがオシャレだってやっているうちに本当にオシャレじゃなくなっちゃったって言っているけど言い得て妙。ふざけて吃音者の真似しているうちに、元に戻らなくなっちゃう奴、子供の頃いたもんな。

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