daily  AyameX  NEWS 2002 01-06

あべの古書店二代目の日々

6月5日
辿り着いた時はいつも手遅れ。
『野溝七生子というひと』を読んでいる。これは切ない。本当に。

数日前、来店したご婦人が「矢川澄子さん、ご存知ですか?」と言う。
「ええ、判ります、いえ、もちろん面識はありませんけど」
「新聞に訃報が出ていたんです。自殺なさったって…」

大杉栄を追う途上、野溝七生子が視野に入った。辻潤との繋がり、そして大杉栄のある評伝が引き起こした事件、いくつかの因縁を手繰り、まずは一冊、野溝七生子の著作を読んでみようと思っていた。新刊書籍をウェブ検索すると、リストに『野溝七生子というひと』があった。著者は矢川澄子だった。

野溝七生子を追悼する矢川澄子。十年前、彼女が望んだ野溝七生子の文学的復活は、新世紀になって成就したようだ。昨今、野溝七生子はちょっとしたブームらしい。
しかし、
「死者っていったいどこに、どのようなかたちで存在しているのでしょう。」と野溝に呼びかける矢川。これは切ない。胸が痛む、本当に。

5月27日
意を決して沓谷霊園に行く。事務所で案内を乞えば判るでしょうと人から聞いたが、その事務所なるものがいったいどこにあるのか。「因縁力」さえ働けば迷うまい、ト電波チックに踏み込んだ墓地、まるで洒落にならぬ、まっしぐらに大杉栄/伊藤野枝の墓に辿り着いてしまった。むう、もう後戻りは出来ぬか。
それから書籍の買い取りで島田市まで出かけた。明治天皇が宿泊所に使ったというすこぶる立派な旧家の前で、先方と待ち合わせ。
午前は荒畑寒村が記した無政府主義者の墓碑を読み、午後は天皇行幸記念碑を見上げているとは。で、白壁の蔵が二つもある旧家は買い取りとは全然関係なくて、その近在のお宅へうかがった次第。創元推理文庫のバラードと「年刊SF傑作選」が全部揃っていたのは嬉しかった。これは自分用に。
くたびれたので店は休み。宵の口、激しく雹が降り、庭が玉砂利を敷き詰めたようになった。なにがなんだかよくわからん一日であった。

5月25日
三月書房さんに注文した『黒旗水滸伝』と「虚無思想研究」のバックナンバーが届いた。

5月22日
久しぶりのラジオ収録。「すっとんしずおか昔話」を一話。

5月20日
店でペヨトル本が売れると嬉しい。ようやく『2-:+ 0号』を売り切った。余勢をかって、「大杉栄らの墓前祭実行委員会」に電話をしてしまった。入手超困難な「七十回忌記念誌」を譲っていただけるということで、またまたお喜びのココロ。

5月18日
今日も春の芸術祭。タガンガ劇場の『マラー/サド』。

5月12日
「浮月楼」の座敷で芸者遊び。江戸から幇間までよんで大騒ぎ。愚生が祝儀を出しているのではないから、いばれたものではないが。ことによると愚生も「たいこもち」のような役回りであったか?
ちょうどその頃、京大西部講堂では「ペヨトル工房解散イベント」が行われていたはず。大石蔵之助的状況であるよ。

5月11日
春の芸術祭。野外劇場・有度で『椅子』。

5月9日
シティFMというのかコミュニティFMというのか、地元のミニFM局の番組にちょっとだけ出演。古書の話をちょっとだけしてくる。局のMさんに大杉栄の墓が静岡にある理由を講釈。実はぼくもつい最近知ったのだった。Mさんは甘粕正彦のことを調べているそうだ。むう、交差してますな。

5月8日
ちょっと早起き。ご近所の「文高堂」にネットで注文を出していた本を取りに行く。藤田嗣治の『巴里の横顔』と「大杉栄」本を二冊。それから書籍に関連した市民グループの会合に参加した。

5月7日
ネット古書店「萬重宝」のMさんが来店。目録に長谷川如是閑の小説全集が掲載されていたことを思いだし、面談で注文(笑)。『黒旗水滸伝』のことが話題になる。そうか、Mさん『黒旗水滸伝』、買ったんだ。むう、やはりぼくも入手せねば。

5月6日
京都で発行されている「唯一者」に『芝居の生き方』という私的アングラ演劇史を書き下ろしている村松寛通さんが来店。新茶をいただいた。

5月4日
くたびれたというか充実していたというか、イベントづくしの一日。隣町まで冒険、古書店を二軒発見し、お賽銭的に大杉栄著書など購入。「春の芸術祭」で演劇を観る。「お山(日本平)」の楕円堂でSPACの『禿の女歌手』、すぐさま下山し、静岡芸術劇場ではインド演劇『最後の福音』を観た。それから夜の街へ。あべの古書店で浮世絵版画を買ってくださった割烹の板前さんが、額装してお店に飾ってあるというので、飛び込み訪問。それから「ういんな」で珈琲を飲んで一服。勢いは止まらず『スパイダーマン』の先行上映に突撃。その後「アナザー軒(辻潤用語)」を転戦。サイフの「弾」が尽きた…。

5月2日
『ニヒリスト 辻潤の思想と生涯』を読んでいるのだが、こいつはいただけない。この本の著者(編者)は辻潤をダシにテメエの自慢ばかりしてやがる。文章もはなはだ下品。入門書を間違えてしまったかも。

5月1日
『美少女の逆襲』を一気読み。少女小説ってほんとに面白い。文学のフリークスである。ますますのめりこみそう。高尚な決意を口にしたところで、愚生が心底楽しめるのは「少女小説」。いいのか?

4月30日
寺島珠雄『南天堂』を読み終え、古書者のあり方をつらつら考えた。ばらばらだったあれやこれやがつながり始めた。いままで通りすぎてしまっていた書物が、視野に入ってくるようになった。

4月22日
知人が古着も扱う服屋を開店し、店の一角に書籍を置いている。どういう段取りになっているのか判らぬが、中古本もあればまったくの新本もある。在庫は100冊程度。とはいえ本好きがセレクトしたタイトルが並んでいて、魅力的な棚である。書籍を求めるために来店する客も多いそうだ。うらやましいですな。「他にこの手の本を置いている店はありませんか」と問う若者たちには、当店を推奨してくれるそうで。いや、ありがたいことです。『石神井書林日録』を購入した。
一気読み。うむむ、凄い人ばかりだ。長く曲がりくねった古書の道。ゴールなどないぞ。

4月21日
昨夜はレイトショーで『コラテラル・ダメージ』を観た。爆発の炎はみんなCGで作っているのでしょうか? ミサイルがすっとんでいく画面やら、その他いっばい、全部CG? 大ざっぱで乱雑な物語だけれど、テロリストのキャラ設定にちょっとしたヒネリがあって、新鮮だったりしました。
それよりいま一番気になる映画は、予告編をやっていた『少林サッカー』。少年サッカーではない。どうやら少林寺拳法の拳士たちがサッカーで勝負する話のようだ。この人を小馬鹿にしたようなタイトルがいいし、一粒で二度オイシイ的な安直と問いつめられかねない発想を支持したいし、ブルース・リーのそっくりさんの登場にも期待。お馬鹿映画で笑いたいのココロ。

4月20日
ふはっ、たまらんですよ『母の呼ぶ声』。もう引用するしかない。

「いったい、おとうさまはどんなかたかしら。」
 あまい空想がひろがります。
 新聞や雑誌でみた、いろいろなえらいひとの顔を、つぎつぎに思いうかべてみました。でも、そのどれでも不平です。
(チイ子のおとうさまなら、もっともっとすてきなかただわ。)
 波をうってしぜんにわけられた、うつくしい髪の毛。金ぶちのめがねの底で、しずかにほほえんでいるやさしい目……そう、きっとスマートな口ひげをはやしていらっしゃるわ。
 生まれてはじめてお会いしたとき、おとうさまはなんておっしゃるかしら?
「千秋……いい名まえだね。」
 そうおっしゃって頭をなでてくださるにきまっている。
 でも……でも、すこししんぱい……もっとかわいらしい子だと思ってらしって、わたしを見てがっかりなさるかもしれないんだわ。そしたら、なんていおうかしら……。
「ごめんなさい。これからもっとかわいい子になりますから。」
 って、そういおうかしら……。
 おとうさまとおかあさまと、三人で東京へ行く……東京の家は、しゃれた西洋館で……門には野バラがきっとからんでるわ。わたしのおへやのカーテンはピンク。ピアノと大きなフランス人形と、オルゴールと……そのオルゴールの音で、わたしは目をさますの。
 トースト、ミルクコーヒー、フルーツ、ゆでたまご、チョコレート……朝のお食事は、それくらいにしておこう。それからかわいらしいコリーをつれて、おとうさまとおさんぽだわ。
 家のコリーったら、おやんちゃでしかたないの。すぐほかの犬にほえたり、花壇のお花にじゃれたり……。
「まるでチイ子のように、おやんちゃだね。」
 おとうさまは、そうおっしゃるにきまってる。
 …………
 あとからあとから、とめどなくひろがる空想に、千秋は、ぽっとほおをそめていました。
妄想、電波などとは言うまい。いまや少女小説は幻想文学の領域にある。

で、夢中になっちゃいました。一気読み(って小学生向きの本なんで、はなっからたちまち読めちゃうんですが)。面白いことおびただしいんで。もしかしたらこれってハーレクイン・ロマンスにはまっちゃう感覚でしょうか。危険地帯に足を踏み込んだかも。

4月19日
次なる少女小説は北條誠『母の呼ぶ声』。

4月18日
久しぶりにラジオドラマの収録。今回はナレーション。緊張しちゃった。

4月17日
児童書の絶版の主なる理由は「人権的配慮」かもしれぬ。『少女ネルの死』でもいきなり「せむし男」の登場。案の定、金貸しで悪人で暴力亭主。「せむし男」だから邪悪なのか、非道な男がたまたま「せむし」だったのか。
ネルのおじいさんは、この男に多額の金を借りて破産してしまう。だがギャンブルに注ぎ込んだあげくの転落である。おじいさんに同情は出来ないのだ。
いや、このおじいさんこそ悪の元凶ではないか。はっきり言わせてもらいますが、おじいさんは憎たらしい。旅の途上で出会う人はみんな皆なさけぶかくて親切でいい人たちなのに、おじいさんのばくち癖が災いして、ネルは不幸へ一直線。ネルがかわいそうです。

4月16日
どうせすぐに飽きてしまうと思うが、少女小説をしばらく読んでみようと決心。
まずは偕成社『少女ネルの死』。原作はディケンズの『骨董屋』。『骨董屋』はちくま文庫で出ていた。現在は絶版。『少女ネルの死』も絶版である。
この児童書のキキメは、挿絵を高畠華宵が描いていること。主人公の少女は可憐と言うより不気味です。
登場人物の紹介で、早くも逃げ腰になった。

ネル
本編の主人公。白百合のように清らかな少女。
祖父のために一身をささげ、いばらの道をあゆむ。しかし、長い旅路のはてに、彼女を待ちうけていたのは、あわれ悲しい死であった。
もう全部読んでしまったような心持ちなんですけど。

4月15日
『ねじめ』と『ジャガー』に声をあげて笑ってしまった。こんなことでいいのか、俺。いや、笑うのがイカンのではなく、声を出してしまうというのが、あれではないか。
テレビを見ていても、最近よく笑う。黙ってニヤニヤではない。ガハハと笑う。昔はこんなことはなかったのだが。

4月14日
唐沢俊一『古本マニア雑学ノート』を読んでいたら、著者の『美少女の逆襲』という少女小説研究本も読みたくなった。調べてみると既に絶版。が、古書検索したところ、幸いなことに市内の古書店で見つけた。つくづく便利なご時世になったものである。「例えば、古書業界ではOA機器の導入というのが極めて遅れている。ようやく、ワープロとFAXは普及したようだが、パソコンなどは夢の夢、的な状況である」、と1996年に刊行された『古本マニア雑学ノート』にはある。夢の夢か、とここ数年のIT革命を振り返りました。

4月12日
行きつけの酒場のご主人から『ヘミングウェイ』という雑誌を教えてもらった。毎日新聞社の出版物で、月二回発行している。昨年発刊されたばかりの雑誌で、「売り」は3号目から始まった特別付録である。復刻の古地図が毎号ついてくるのだが、これが実によく出来ている。折り畳んで綴じ込まれた復刻古地図はずいぶん大きなものだ。原寸大なのだろうか。使われている紙の風合いもいい。
(その昔、毎日新聞社は複製の浮世絵版画のシリーズを刊行し、これなども和紙と見まごうような特殊な紙に印刷した「版画」を、一枚一枚台紙に張り付けるという力の入ったものだった。売れ行きはいまひとつだったようだが。「復刻」は毎日新聞社のお家芸か。)
この雑誌が500円とは安い! というわけで、発売中の7号を購入した折り、全てのバックナンバーを注文した。
ところがなんと、『ヘミングウェイ』は7号でいきなり廃刊となってしまった。新聞でその報を知り、改めて編集後記をみたら、哀しいお知らせが満載。ううん、残念。
取り寄せたバックナンバーをずらりと並べ、悲喜こもごもの今日でした。

4月6日
虚心坦懐。もういっぺんやり直し、のココロです。手始めに利光哲夫『反=演劇の回路』(勁草書房)を読んで己の足元を点検。あちこちの書店に演劇書を注文しまくる。

3月21日
普通に朝起きたのはほんとうに久し振りでござい升。午前の陽射しは爽快々々。お壕の桜を眺めながら、店まで歩く。おや、教会と裁判所の裏手の桜は、もう満開ぢゃありませんか。風にちらほら。花壇の水仙やらすずらんやら黄色いレンギョウやら、いい気分。でも商いは散々でした。サクラチル。

3月12日
ふう、ようやく読み終わったよ、スラヴォイ・ジジェク『汝の症候を楽しめ』(筑摩書房)。『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』(朝日出版社)に所収されたジジェク発言があんまり面白かったので、とりあえずジジェクの著書を一冊買ってみたのだが、かなりの苦戦。触発されること多し、ではあったけれど。

3月11日
起きられなかった。見逃した、ムネヲ劇場。昼もだいぶ過ぎてから、のそのそと店を開けた。妙な日であった。まず鈴木忠志批判者が来店。鈴木演出の弱点についてあれこれと語っていった。つづいて鈴木忠志礼讃者が来店。鈴木演出を絶讃。というか、この御仁は早稲田小劇場→SCOT→SPACの俳優が好きらしい。いわゆる「追っかけ」。ちょっと神憑り的なところがある人だったので、当方聞き役に徹していたところ、小一時間熱弁をふるっていかれた。今日は鈴木劇場か。

3月5日
コンビニのレジが混みあっていたので時間つぶしに立ち読みした雑誌に坪内祐三の書評。中山信如『古本屋おやじ』(ちくま文庫)を紹介している。ほほお、こんな本が出たのか。坪内の語り口にまんまとのせられ、書店に直行。一気読み。先達の日乗に思うこと多し。後になってあれはフィクションだなんて言ってくれるなよ。日記を鵜呑みにする俺がおめでたいのか。

袴田浩之より上映会のご案内。ここを見てちょ。

3月3日
昨夜、レイトショーへ行き、『ロード・オブ・ザ・リング』を観た。三時間強。満足。キメ台詞の連続、ツボを押さえた泣かせ所も満載。ぶわあ、と涙腺ゆるんだぞ。凄い凄い、驚きの映像。こりゃ文句なしの映画化。
かっこいいぞガンダルフ、吸いたいぞパイプ草。「ようし、俺も」、と映画館を出て思った。で、黒ビールをがぶ飲み…。

2月23日
奇跡は思いもよらぬ形でやってくる。あまりにも意外な方法をとるので、それが奇跡だということにも気づかぬくらいだ。
信仰を持つ者はそれを奇跡という。けれども無関心な人々から見れば、それはありふれた日常の些事であったりする。まったく神意は計り知れない。

2月22日
店を早じまいして『地獄の黙示録 特別完全版』を観る。重い。これが本来の姿であったのか。9.11以降の「戦争」を想起し、まさしく黙示録。バブル景気の頃に『プラトーン』を観て、これがヴェトナム戦争の真実などと思わされていた自分に歯ぎしり。要するにキリスト教的精神の道徳映画であったのだな、『プラトーン』は。軽い軽い。マーティン・シーン@地獄の黙示録が、『プラトーン』の主演男優チャーリー・シーンの親父だというのは、なにか因縁めいてはいるが。そうだ、因縁と言えば『地獄の黙示録』でもデニス・ホッパーがキーパーソン。なんだか謎が残る。

アメリカはヴェトナムでなにひとつ学べなかったようだ。否、映像が両刃の剣であることだけは、いやというほど思い知らされたのかもしれない。戦争の記録映像から死体を消した。アフガニスタンで何が行われているのか、誰も知らない。


2月21日
『地獄の黙示録』への助走として、立て続けにビデオを観た。『バロウズの妻』→『トゥルー・ロマンス』→『ビートニクス』。キーファ・サザーランドが演じるバロウズ。うまいなあ、この喋り方、バロウズそっくりだ。『トゥルー・ロマンス』に登場する映画プロデューサー(プロモーター?)、「地獄の黙示録」以来のヴェトナム映画の傑作を配給したという設定。おやおや、これは予兆かな。デニス・ホッパーとクリストファー・ウォーケンのやり取りも気になる。ウォーケンがヴェトナム戦争の英雄で、キンタマの話ばかりしている映画ってなんだったかな、タランティーノの映画? ホッパーが放送機材をつみこんだB29に乗って、怪しい電波を飛ばす映画ってなんだったかな? さらにホッパーは『ビートニクス』でバロウズを演じていた。ううむ、つきまとうデニス・ホッパー。
ところで『ビートニクス』でクレジットされているHIRO YAMAGATAって、あの人のなのでしょうか?

2月10日
ようやく『ダイヤモンド・エイジ』(ニール・スティーヴンスン)を読み終えた。昨年の暮れに購入し、少しずつ読んでいたら一ト月半もかかってしまった。『スノウ・クラッシュ』を一気読みした時のようなドライヴ感を味わい損ねたのは不覚。でも戦闘美少女系ストーリーには満足満足。次の翻訳が待ち遠しいぞ。
あと、『ダイヤモンド・エイジ』と一緒に買った『コカイン・ナイト』(バラード)が手つかずで放ってあるから、こいつをやっつけないと。

どういうわけかバラードの本が手元に残らない。『太陽の帝国』『コンクリートの島』『奇跡の大河』『ハイ-ライズ』『ヴァーミリオン・サンズ』『残虐博覧会』『クラッシュ』『殺す』。なーんでバラードに限ってあっさり手放してしまうのか。再入手困難と判っているのに、どういうわけか簡単に再入手出来そうな気がしてしまう。なぜか?

2月8日
ご注文の書籍が届いております、ってんで谷島屋書店へ。ファンタジー本フェア、やってる。「ハリー・ポッター」本にならんでトールキン本や『新版指輪物語』がどーんと平積み。『旅の仲間』の山がだいぶ低くなっている。売れているようだな。『新版指輪物語』は全九巻だから、いっぺんに買うのは負担が大きいか。ぼくは刊行記念ボックスセットで買ったのが自慢。でも今も出ているかも…。
ちくま文庫の新刊で『怪奇探偵小説名作選1小酒井不木集』が出ているのを発見。レジに持っていく途中で本体価格1300円に気づく。うぐぐ、結構なお値段。しかしこの道は引き返せん。
あべの古書店の棚には小酒井不木全集の端本が並んでいる。巻いた帯の値を見て、これじゃ安いよ、と思った。

1月26日
昨夜から突然『メメント』が観たくなる。内容がまるで判らないのだが、何故かむしょうに観たい。新聞の宣伝をちらりと見たせいだろうか? キャッチコピーの文句も憶えていないのに、何故だ。当地では上映していなくて、隣町のシネコンでひっそり、というところがカルト風味だったか。キキメとなったかな?
ここはひとつMに声をかけて車を出してもらいますか。早めに閉店して風雨の中をレイトショーへGOだ、ってんで。その前に下調べ。当地の映画情報メルマガに紹介記事が出ていた。…なんだいこりゃ、『ストーンオーシャン』か? なんだかあんまり…。衝動は突然やってきて、そして突然去る。どうでもよくなったので、Mに電話をするのは止めた。
ところが日が暮れると、ひょっこりMが来店した。お、奇遇だね、いいタイミング、こりゃやっぱり映画館へGOですか? きみい、実はこういう映画をやっておるのだが、いや、どういう映画なのか詳細はさっぱり判らぬのだが、ははは。ああ、ウチの会社の若い子たちもその映画の事は話題にしていたよ。え、そうなの? どうですか、今からGOでは、車で来てんだろ? うーん、悪いね、家内がちょっと具合が悪くてね、これから紀尾井でご馳走を食うんだ。
Mには『2-:+』(1号・特集:飴屋法水)をお買いあげいただいた。
ふむ、『メメント』には縁がなかったのか? そうだ、俺もご馳走を食おう。
定時で店を閉めて紀尾井へ行くと、天才料理人が「いやー、Mさんに悪いことしちゃいました」とのたもう。なんですか? 「お客さんがいっぱいで、Mご夫妻、入れなかったんですよ」
はぁ?
Mよ、今日は映画もご馳走もおあずけの日か? こんなことなら『メメント』を観に行ったほうがよくはなかったか?

1月15日
祝、『宮澤賢治殺人事件』吉田司(文藝春秋)文庫化。早速購入。このノンフィクション、反骨の人・Mさんから教えられて、前々から読みたかったのだあ。ううむ、これは「因縁力」本ではないか。なるほど賢治信者からは総スカンを喰うような内容だが、これもまたいかようにも読めるという宮澤賢治の乱反射文学を実証するものかと。
ご当地ネタとして関心をもった部分あり。宮澤賢治が入会した「国柱会」の本部は静岡県三保にあったという。その方面には疎いのでちょっと調べてみたら、こんな記述があったので、忘れぬよう書き写しておく。

あまり知られていないことだが、この宿泊所に大正十年頃大杉栄が隠れていたことがある。当時無政府主義者として官憲に追われていた大杉栄は、日蓮信者に化けてこの宿泊所に隠れていたのである。彼は大正十一年十二月国際無政府主義大会に参加するため、日本を脱出しフランスに渡ったが、その日本脱出計画は、この宿泊所に隠れている間になされたものだという。
田中智学によって建てられた国柱会本部は「最勝閣」という。この道場を訪れる人々のため、智学は「宿泊所」も建てた。
智学を三保に呼び寄せた「因縁力」は高山樗牛である。
智学はたまたま竜華寺にある樗牛の墓に詣でて、三保の風景に接し、すっかりこの地に魅せられてしまった。
ずっと昔、ぼくの祖父が竜華寺の裏手の山の上に隠居所を建てた。子供には駿河湾も富士の眺めも別にありがたいものではなかったけれど、いまにして思えば随分贅沢な生活をしていたものだ。祖父は一瞬にして無一文になり、展望台のような隠居所は人手に渡った。

1月11日
ノーム・チョムスキー『9・11 アメリカに報復する資格はない!』(文藝春秋)を読んだ。チョムスキーといえば『生成文法の意味論研究』の著した言語学者だという程度にしか知らなかった。舌鋒の鋭さ、発言の切れ味に、この人は国際テロの専門家かい、ト勘違いしてしまう。日々の新聞に目を通すだけで、これだけの情報通になれるとは。これが知識人の懐の深さか。感嘆した。翻って己は、日本が国際貢献の名の下になにをやっておるか、どの程度に把握しているのかあ。
チョムスキーに学べ。ようし、『生成文法の意味論研究』に突撃だ。
が、頁を開いただけで撤退した。
…まあ、ええわ。俺は知識人ではござらぬよ。新聞の記事など知らぬ。アジアの民から搾取するでない、ト声高に叫ぶ御仁がいる一方、アジアの女性から結婚詐欺にあい、悔し涙を飲む日本人もいるのだ。新聞に載らないところでね。個別具体。一般化など出来ぬ。
じゃ、次は『「ならず者国家」と新たな戦争』ってことで。

1月4日
追憶の八十年代に、「リブロめとせら」という書店を開いていた増田さんが来店した。増田さんが店をたたんでもう十年になるが、いよいよネット古書店を立ち上げて、リベンジを図るそうだ。
ほくにとって「リブロめとせら」の閉店は、八十年代文化の失速と繋がっている。あの頃、増田さんの店で、ペヨトル工房の本や、荒俣宏の本や、GSや、ニューアカ本や、リブロポートの本や、青林堂の本や、大友克洋の本や、サイバーパンク本や…、なにしろ買いまくった。そのほとんどの本が、いまはもう手元にはない。失われた十年の間に「八十年代文化本」は米に替わってしまった。すっからかんになったところで戦略を見直し、ぼくは「あべの古書店」をついだのだった。

増田さんのネット古書店の屋号は「萬重宝」。「よろずちょうほう」と読む。あ、黒岩涙香だな、とぴんとくることに期待。
サイトはここ
ちょっと法外に安いアイテムがあるので、なんだか心配です。ちなみに、ビデオの『カリガリ博士』『フリークス』、それから『麻薬書簡』を買ったのはぼくだ。

1月1日
あけましておめでとうございます

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