ART CRITIC / CRITICAL ART #23 

薮野智江 個展
1996年3月1日−3月31日 焼津・画廊喫茶ブービー



 JR焼津駅を南口から出ると、画廊喫茶ブービーはすぐ目の前のビルの一階にある。ブービーは焼津や藤枝近在に住む若いアーチストたちの発表の場となっていて、月毎に展示のプログラムが変わる。美人の女店主がちょっと不機嫌そうな顔をしながらコーヒーを煎れているこの店を訪れるたび、ぼくは中野の「クラシック」という喫茶店のことを思い出す。
 「クラシック」はその名のとおり、年老いた店主が、竹の針で聞くSP盤のクラシックレコードを終日流している店だった。
 ぼくが「クラシック」に何度か足を運んだのは、七十年代の終わりだったが、たしかコーヒーが150円で紅茶が180円だったと記憶している。メニューの安さと独特の雰囲気にひかれ、店はいつも、アーチストを志すような学生や専門学校生や定職を持たぬ若者たちで賑わっていた。
 薄暗い店内は中央が吹抜けになった二階建ての構造になっていて、その外観にくらべて異様に広く見えた。床の隅にはホコリがつもり、テーブルや椅子は廃品場から拾ってきたような代物。骨董品ともガラクタともつかぬ古物がところせましと置かれて、そして壁にはおびただしい数の古色蒼然とした油彩画が飾られていたが、当時のぼくは絵画になど何の興味もなくて、だからそれらが小柄な老店主の作品だと知ったのは、十年以上も後、新聞で「クラシック」の店主の訃報を読んだ時だった。

 もちろん「クラシック」とブービーは、絵画が飾られているという以外には、何の共通点もない。ただ、ブービーに集まる無名の若き作家たちの野心、その世間知らずとも思える無謀なエネルギーが、ぼくの記憶の中から「クラシック」の風景を引き出すのだろう。

 さて、薮野智江の個展だ。作品にある特定の形象が繰り返し表出される場合、そこには必ず理由がある。無意識に行われる反復はオブセッションと連動している。

 この個展に潜む物語は「オブセッションの発見とその展開」である。

 形式的には薮野の作品は二つに区分することができる。ひとつは平面作品群。もうひとつは浅い木箱の内部にオブジェをあしらった立体作品群だ。内側が(時には外側まで)ペインティングされた木箱はオブジェの背景となる書き割舞台のようでもある。このオブジェが執拗に反復されるシンボルなのだ。
 最近の創作の出発点、繰り返されるイメージの原点となった作品がある。『とある場所へいこうT』というタブローには、黄色い色面上にオブジェの基本形となった図像が描かれている。中空に浮かぶ円盤様の空間から、一本の発芽したばかりの植物のような物体が垂直に延びる。それはシダ植物のように上部がくるりと渦巻き、先端は鋭く尖っている。
 オブジェはこの図像を立体化したものだが、表面のなめらかな質感は、軟体動物の触手を思わせる。あるいは寄生虫であるとか、モヤシのような隠花植物であるとか、いずれにしても鑑賞者の生理的反発、潜在的な嫌悪感を誘引する形状をなしている。この物体は必ず下方より上方に向かって延びている。それはいうなれば地中より現れその片鱗を見せた「捕食者」であり、ラヴクラフトが暗黒神話大系に描出した闇の世界=無意識の奥底の住人なのである。
 例えば立体作品のひとつには暗い湖水が描かれているが、これなどは「捕食者」が所属する領域の典型的な表象である。だが他の作品群にもこうした表象が明示されているわけでは決してない。この作品は木箱のスケールが展示作品中最大であったため、他の作品に比して背景の描き込みをより多く必要とした結果、潜在する意識が立ち現れてきたのであろう。つまりたまたま作品に「捕食者」を補足する記号が付与されたのである。
 このように薮野のオブジェが提起するイメージはきわめてネガティブなものだが、鑑賞者が即座にそうと了解するのは非常な困難さを伴う。その最大の要因は作品のタイトルにある。薮野の作品のタイトルは、作品の主題とも形式とも全く無関係なため、鑑賞者の直感的な印象はかえって混乱させられるのである。
 前記の例にあげた作品は「泉のある場所」と題されている。たしかに背景には泉のある「場所」が描かれてはいるが、実際にはこのペインティングされた木箱自体は、オブジェが設置される環境にすぎない。タイトルは鑑賞者の視線を主体である「捕食者」からそらせ、タイトルが指示するイメージに対応する背景へと向かわせる。薮野は創作が終了した後に作品のタイトルをつけているということであるから、オブジェをすり抜けてしまう鑑賞者の視線はそのまま薮野の視線でもある。つまり薮野はある形状を執拗に作り続けながらも、その表象が意味するものを認識・確認することを拒んでいるのだ。

 ここで再び『とある場所へいこうT』に戻る。タブロー上には、「地=色面」と「図=オブジェ」の原型質料がある。その後、「図」は「地」から分離され、立体作品(オブジェ)となる。ところが、残された「地」も平面作品として独自に展開してゆくのである。
 会場には4作品(そのうち1点は3枚で1組)が展示されているが、これらの画面からは具体的な形象が消え、絵画は肉体の桎梏を離脱したかのような明るい官能性を表出している。もちろん作品間の差異はあり、『ある月夜の日』のように歴然と月や夜の家並と判るような表象が描かれてしまっている場合もあるが、概ね薮野の平面作品群が抽象表現主義に隣接するような様式を獲得しつつあるのは間違いない。
 特筆すべきは『ピンク色の大地と太陽』と題された作品で、柔らかな黄色い色面の中心に、彼岸への門を想起させるひときわ明るい同系の色面が円く広がり、その周囲には幾本もの黒い細線が古代ルーン文字のように引かれている。この作品は、「霊的ビジョン」を抽象表現と結合させる、カンディンスキーに始まりポロック、ロスコへと到る系譜の末端に加わる権利を薮野に与えている。だが、いまのところ彼女がそこに参入するには大きな障壁がある。薮野の問題は、自己の表現に言語的に関与してゆく力がきわめて軟弱であるということだ。
 薮野は現実世界内には作品のモデルを持っていない。表現の(イメージの)マテリアルを、彼女の無意識の内部より引き出している。もし言語によって構築された抽象的な観念の内にマテリアルが存在しているならば、作品と表題との間にこれほどあからさまな亀裂は発生しない。言語以前の無意識を起点にしているという意味では、薮野の表現はシュールレアリスムなのである。ところが本来ならばシュールレアリスムとして提示されるべき表現の内容物を、薮野は二つに分裂させてしまったのである。即ち、『とある場所へいこうT』後の、「地」と「図」の分離であり、換言するならば彼女は無意識下の事象を「生理」と「非生理」に区分したのである。かくして「生理」はオブジェとなり、「非生理」は絵画に転位する。そして平面の表現内には「捕食者」は決して現れないのである。もちろん二つが平面と立体とに分離する必要性はない。「捕食者」も絵画表現として提示されてもよかったのである。しかしながら、視覚だけではなく、より多くの知覚・感覚に働きかけ、作家自身もその実体を手触りなどから「生理的」に確認できる立体という形式が「捕食者」の具現化のために選ばれたのは必然的な帰結だったのだろう。
 また、作品群全体を見てゆくと、平面作品と立体作品の双方に似たようなタイトルがつけられていて、このことからも二つの形式の源流がひとつだということが判る。

平面作品『ピンク色の大地と太陽』 − 立体作品『太陽と大地のまん中で』
平面作品『ある月夜の日』     − 立体作品『月夜の行進』

 繰り返すが抽象表現はその基底に言語による思考が不可欠である、とぼくは考える。抽象表現の巨人たちは、意識下の個人性、つまり生理を徹底的に排除することによって、集合的無意識=霊的ビジョンをかいまみたのだと言えよう。では無意識の領野から、非生理だけを抽出することは可能だろうか? もしもそれが不可能ならば、一点の非生理的な平面作品を創るたびに、それと対になる生理的なオブジェが創造されるのだろうか? もしも、感動的な絵画と鑑賞に値しないオブジェが双子の兄弟だとしたら、作家はどのような態度をとるのだろうか?


Ayame−鈴木大治
▲back