ART CRITIC / CRITICAL ART #64 

ドラマサークル公演 「もう一つの教室−夜間中学−」


 これにはいささか驚いた。ついぞお目にかかったことがないようなタイプの俳優さんたちが舞台の上に立っているんだから。夜間中学の話なんだけどね、ぼくはここに出ている俳優の人たちって本当に夜間中学に通っていて、そこの生徒さんたちが演じている芝居かと錯覚しちゃったよ。こういうのをリアリズム演劇って言うんですか? でもなんだかあまり嬉しくないな。この劇団はどうも「演劇研究所」というところが関わっているようなので、たぶん演劇を研究している人たちが集まっているんだろう。

 夜間中学の物語。人情! 苦労人! 生きることの素晴らしさ! よーく判りました。先生の演説。ごもっとも。なるほど。客席に座っているぼくも、夜間中学の生徒の一人になったような気がします。だからどうなんだろう。何故ぼくは夜間中学のドラマなんか観ているんだろう。

 ぼくは、ぼくたちのこの世界が孕む「物語」がどんどん小さなものになってゆくのが悔しくてしようがない。昔の人は「世界革命」とかって勇ましく吠えていたのに、八〇年代の人たちが話題にしていたのは「流通革命」だった。そして今や革命の主流は「脳内革命」! 馬鹿にしてるよ、ホント。革命で思い出したけど、「演劇の革命か、革命の演劇か、それが問題だ」って悩んでいた演劇人はどこへ行っちゃったんだろう 。

 ぼくは劇場を出て、日常風景に戻る。ちょっとは夜間中学のことを考えてみた。静岡にもあるんですか、夜間中学って? でもあっと言う間にどうでもよくなった。それよりももっとぼくには気になることがあるんだ。ボスニア・ヘルツェゴビナやセルビアの民族浄化のこととか、この世界でたった一羽になってしまったニッポニア・ニッポンのことや、もう半月も小学校へ行っていない友人の息子のこととか。

 ドラマサークルの演劇って、ぼくたちに感動を与えてくれるらしい。それならサラエボの戦火の下、寒さに震える人たちも救ってあげてほしいんだ。もう少し生きるための力を送ってあげてほしい。今ここで、静岡で演劇を上演することで世界を変えてゆくことは出来るはずだろ。これって絵空事かな? こういうこと、研究しているでしょう?


ドラマサークル公演「もう一つの教室−夜間中学−」は、静岡県の助成を受けて
1996年10月19・20日、静岡・サールナートホールで上演された。
作、廣澤榮。演出、大場三郎。前売り、当日1500円。

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