ART CRITIC / CRITICAL ART #068 

プロジェクト・ナビ 公演  「新・十一人の少年」

「見るために・・・」と黒いサングラスの少女が独白する。あーその台詞、短歌、・・・寺山修司か。
見えないものを見るために、自らのまぶたを剃刀で切り裂く。その向こうにはブニュエルの『アンダルシアの犬』。ってな具合に勝手に納得する自分がみじめったらしい。
これがポストモダンの功罪。
でもあの時は、八十年代は、その判った気になるという事が嬉しかったし、誇らしかった。大得意になって、ああ、あれね、○○の引用だよね、と知ったかぶり。かっこ悪ーい。
畜生、バカだったぜ。しかも今だに引きずってる。

彼女はガード下の娼婦(いまどきの言葉ではなんて言うんだろう?)である。盲目の少女娼婦。凛々しくて素敵だ。印象に残る。巷でウリに走っている少女たちが彼女のようであったらと、思わずオヤジモードに。
北村想が少女の兄(ポン引き)役で出演していて、すごく変。奇妙な味がある。

名古屋のホールで、北村想が主宰していたTPO師★団(表記、これでよかったかな?)の『虎・ハリマオ』という舞台を観たのは遠い昔の話。
『寿歌』が高校演劇の定番だったこともあった(今でもそうか?)。
その後、もう東京では演劇をやらない、という北村想の発言を新聞で読んだが、その時は、東京を拠点とした消耗戦のような活動から離脱する程度にしか受け取らなかった。

北村想は新しい形式なんかもう創らなくてもいいんだと気づいた表現者の一人だと思う。
革命的なオリジナリティというものは必要なくて、いまあるものを再利用(引用)することで充分に新しい表現が可能だと示した。すなわちポストモダン作家。

例えば名辞が別の名辞を喚起する。登場人物の名前、ケンジ/オサム/ユキオ→宮澤賢治/太宰治/三島由紀夫。セツコという名前で石川啄木を連想する。啄木の妻、石川節子。
カイ、これも宮澤賢治かな、『貝の火』って話があったよな、北村想は宮澤賢治のファンだったはず。理科系文学の人たち。「青木さん」は誰がモデルなんだろう? 「ベッポ」は? 何もない舞台に一本だけ立った電信柱は別役実の引用だろうか。

タイトルから察するに、これは『十一人の少年』の変奏曲である(続編と言ったほうがいいのかもしれない)。『十一人の少年』も北村想の作品で、なにかの賞を獲っていたと記憶している。
『十一人の少年』を観ていないせいか、物語の背景がいまひとつつかめない。
これは辛い。構造的に『新・十一人の少年』は『十一人の少年』の物語によって支えられているから、それが見えないことでどうしても欠落感がつきまとう。上下巻の小説を下巻から読み始めたような感じ。
あくまでもこの劇世界の背後に『十一人の少年』が横たわっていると推測してのことだが。

『十一人の少年』はエンデの『モモ』を下じきに書かれたようだ(典拠は劇中で語られていた台詞)。『新・十一人の少年』のコモモというキャラクターは、モモの引用である。
『モモ』に登場する灰色の盗賊団は時間泥棒だったが、『新・十一人の少年』の盗賊団は物語を盗む。
喪失感を抱いた人々が集まり、想像力が尽きてしまった世界で、彼らは物語を探す旅に出る。 このあたりから『ネバー・エンディング・ストーリー』のモチーフも引用される。

しかし『新・十一人の少年』には、最後の最後まで、何か肝心なものが足りないという据わりの悪さがつきまとう。
どうにも辛い。作者が物語の創造に失敗し、前のめりではあるけれども要するに討ち死に。

だじゃれと言葉遊びが乱れ飛ぶ劇空間。やおい。
悪の女性キャラの唐突な劇中歌が芝居を分断するが、可もなく不可もなく、意味無し。
やおい。

結局、物語は作れなかったと身も蓋もなく宣言される。
おいおいそりゃないぜ、とは思わない。判っていたよ、そんなことは最初から。
カタルシスもないし裏切りもない。
やおい。

舞台からの声。絶望とは何か、生きる事であると。
それは正しいけどね。でもそういう言い方では当たり前すぎて駄目かもしれない。

いま直面している問題は「物語が作れない」ことではない。「物語が終わらない」ことだ。劇場の外の現実が『ネバー・エンディング・ストーリー』であり、エンドマークがどこにもないことが物語の危機なのだ。

さて、もう一度はじめからやり直そう。「世界の終わり」に期待するのはやめだ。いくら待ってもそいつは来ない。だったらどうする? 
どうやら鍵はガード下の少女娼婦が握っている(願わくば、これがいにしえのアングラ演劇の「娼婦=聖女」幻想に同化しませんように)。

ぼくはこの中途半端な物語を、物語が尽きた場所から物語の再生を始めようという、作者の切実な宣言であると受け取った。まじめな作者だなあ、とマジに思う。
北村想、大丈夫だろうか。でも今後に注目したい。何か出てきそうな予感があるから。

プロジェクト・ナビ公演『新・十一人の少年』は、
1996年11月23日、静岡・メディアホールで上演された。

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