ART CRITIC / CRITICAL ART #95 

平成9年3月18日(火)  「立川談春真打トライアル」


平成9年3月18日(火)。
地下鉄永田町駅。「立川談春真打トライアル」を観るため、地下のホームを走った。
午後6時25分。あと5分。間に合うだろうか。
4番出口の狭い階段をかけ上がり、ゆるやかに下る坂道を全力で走る。
日頃の運動不足がたたり、たちまち息は切れ、肺がきしむ。

信号機を左に曲がり、右手の最高裁判所を横目で見る。二人の警備員が立っている。いや、あれは警察官だろうか?
ちょうど二年前、この永田町駅周辺は戦場のようになった。

先週、村上春樹の新刊『アンダーグラウンド』を買った。村上春樹が詳細にまとめた、地下鉄サリン事件の被害者たちの証言読み、その日のことを思い出した。

1995年3月20日。
ぼくと妻は朝10時のひかりに乗り、新幹線で東京へ向かった。車内はガラガラで、五、六人のスーツの男たちがいるだけだった。
ぼくたちは最後部のドアから乗り込み、一番後ろのシートに座ったので、彼らの表情を見ることはできなかった。けれども皆一様に、短波ラジオでレース中継を聞く競馬ファンのように、携帯ラジオのイヤホンを耳にはめていたのがどことなく奇妙だった。
ぼくがそれを携帯ラジオだと思ったのは、イヤホンが片方だけだったからだ。ヘッドホンステレオのイヤホンは、ステレオタイプが普通だ。
一時間半の間、誰一人、話をする者はいなかった。
東京駅に着く少し前、二、三列前の席に座っていた二人組の男が立ち上がった。
男の一人が「ひどいな、大量殺人だな」と言った。「500人?」と連れが言った。
〈何かが起きたんだ〉と漠然と思った。別の乗客が持っていたスポーツ新聞の紙面が目にとびこんできた。見出しは忘れてしまったが、大阪のオウム真理教の道場が警察の強制捜査を受けたという記事だった。
その瞬間ぼくは〈オウムが何かとんでもない事件を起こした〉と確信した。
なぜそう思ったのか、ぼくはきちんとした説明はできない。世界の共時性とか共振性とかいう事柄が関係しているのだろうけど。そしてラジオを聞く男たちを見て、何がぼくの頭の片隅にひっかかっていたのかに気づいた。彼らの身なりや雰囲気は、ぼくが昔よく目にした、無線で連絡をとりあう警察の男たちにそっくりだったのだ。
ぼくは小声で「いまの聞いた?」と妻に言った。「うん。オウムよ」と妻が言った。
ぼくと妻は全く同じ事を考えていたのだった。
東京駅のキオスクでは新聞各紙のオビ広告に「オウム」の文字が踊っていた。
開演時間直前、国立劇場演芸場に駆け込んだ。すでに前座が高座に上がっていた。小さんが出るからというわけではないだろうが、会場は超満員。
人気があるんだなー、立川談春って。あるいは談志・小さんの雪解け効果?
談春と花禄が仲が良いことから、小さんがゲスト出演を承諾したという話も小耳にはさんだ。
おやおや、テレビ局まで来ているんだ。

「蒟蒻問答」、談春。
小さんは「親子酒」。
談春の二席目、「厩火事」。

それにしてもホール落語はこんなにお客が入るのかと驚いた。これまでぼくがのぞいた寄席(閑散とした)や落語会とは客席の空気が違う。学生のような風体の連中や、若い女性が圧倒的に多い。それに「観る」という気合いが充溢している。
ううむ、どうやらぼくはこういう活気は苦手だ。

立川談春の「真打トライアル」は、この後もゲストが豪華。
4月、昇太・志らく、5月、小朝、そして6月は談志が登場する。


立川談春真打トライアル』は、
1997年3月18日国立劇場演芸場で行われた。



▲back