ART CRITIC / CRITICAL ART #98 

柳原典子個展  「日本の空間_間」

焼津・柳屋ギャラリー 1997年3月20日〜4月1日

『アート情報誌 ギャラリー』で作家が写真入りで紹介されていた。「アーティスト・柳原典子さん」。ちょっとセクシーな感じの美女。個展会場へ行けば彼女に会えるかと思って、ドキドキしながら出かけた。

不在。受付の係員もいない。来場者もいない。展示場はなんだか薄暗くてガランとしている。

柳原典子の初個展である「日本の空間_間」展は、二つのパートからなるインスタレーション(らしきもの)で構成されている。
半透明の塩化ビニール板を主材にした工芸的な立体物。青の塔と緑の塔、それぞれ十体づつ、計二十体のオブジェ(仮称)が平行四辺形の形に配置されている。湾曲し、幾何学的なカーブを見せる矩形の塩化ビニール板。ねじれやたわみの程度も様々。ほとんど水平を保持しているもの、折り畳まれる寸前まで歪められたもの。薄青と薄緑の切片は四本の支柱によって、幾枚にも重ねられている。それが更に、三枚の透明な正方形のアクリル板によって三層に区切られる。最下段のアクリル板はこの塔の支板となり、中段と上段のアクリル板の中央に取り付けられた照明器具が、白色光を投じる。オプチカルアート? それで会場がうす暗いのかな? ただしぼくが見たときはライトは点灯していなかったので、スイッチを入れてみてこれが点灯することを確認した。この状態でいいのだろうか? 判らない。まさか節電のため? だとしたら来訪者もなめられたものだ。
もうひとつのパートは竹を用いた造型作品である。3mほどの二本竹材が一点で接し、緩やかな弧を描くx状の形態を作り出している。濃青に塗られたxは、一端を支材であるモルタルが詰まった銀色の缶に接合して立ち上がっている。この竹細工が九体。

以上、報告終わり。

甘い、というのが最初の印象。工芸品と呼ぶには作業がずさんだ。プラスチックシートの切断面は荒削りですっきりしないし、竹材の塗りにはむらがある。あえて作者の筆触を残したとも思えない。製作に技巧を要すこうした作品は、作者にその技術がないからには発注すべきなのでは、と思った。
更にインスタレーションとしてみても、そのコンセプトが不明瞭。これは美術作品だと解釈していいのだろうか?
だが、これらがまごうかたなき美術であるためには、思想や哲学の明示が必要なのではないか。これではレストランのインテリアやブティックのディスプレイとなんら変わるところはない。

そもそも「日本の空間_間」とは何の謂いか? 「間」という語の意味は? これらの展示物によって構成された会場内の空間が「日本の空間」なのか。つまりこの「空間」が作品だってことですね?
判らないな。これがなぜ日本の空間なのか、どうにも理解しかねる。

実はセクシー美人(ぼくが勝手に想像しているだけなんだけど)の作者が来るんじゃないかと思って、ぼくは個展会場に1時間以上ねばった。ある美術館の調査によれば、鑑賞者の平均的な鑑賞時間は一点につき15秒だそうだから、ぼくはまずまずのおつきあいだ。
結局、アーティストは現れず、作品からもなにも探知できなかった。皆さん、ここにはなにもありませんよ。無意味。やおい。この作家、なにも考えていないなと思い、『アート情報誌 ギャラリー』の柳原典子の発言を読み直してみた。

「何事も“やってみる”という意欲で取り組んでいます。自分の求めるものが見つかるまでは、続けていきたい」

ああ、やっぱりね。“やってみた”だけなんだね。

美しくないし、センス悪いぞ、このタイトル。「日本の空間_間」。間が抜けてるよ。

Ayame−鈴木大治
contact:ayame@fuji.ne.jp

▲back