なにもない・・・・・・ これは"悪い"という以上のことだ。 べつのことばでいえば・・・・・・。 邪悪− ───────スティーヴン・キング『デスペレーション』 これを抽象と呼び称すのは、抽象表現に対する中傷である。 ───────中原大 |
1998年2月、静岡県立美術館で若手の作家たちによるグループ展が開催され、そこで富永圭志の作品を観た。富永はこのグループのリーダーでもある。 色面だけの巨大な平面作品が二点。カラーフィールド・ペインティングというやつか? 子供の頃、初めて抽象絵画に接した時も、ぼくはこう思った(はずだ)。 "何、これ?" あなたが初めて見た抽象絵画はどんな作品ですか? はて? いつ、どこで、誰の作品を目にしたのか、とんと記憶にない。たぶん美術館ではないし、画廊にいたってはなおさら。美術や芸術が在るような場所とは、ずっと縁がなかった。 小中学校の美術の教科書には抽象絵画の図版が載っていただろうか? 思い出せない。カンディンスキーやミロは掲載されていたのだろうか? モンドリアンは憶えているが、それは絵画ではなくデザインだと思いこんでいた。 ぼくは小学校の図書室で、よく浮世絵の本を眺めていた。広重の風景画が好きで、東海道五十三次の図版をプリントしたマッチ箱を集めていた。 けれども西洋絵画の美術書は、とうとうぼくの愛読書とはならなかった。 三十年以上、ぼくは抽象絵画をどう観たらよいのか判らなかった。 絵画は眼で見る三次元像の転写だという考えしかぼくにはなかった。現実に存在する具体物が発見できなければ、絵画は無意味なものだった。 美術の教師は絵画の見方を教えてはくれなかった。ぼくが聞いていなかっただけなのかもしれないが、「描かぬ(描けぬ)故に必死で観る」という鑑賞の姿勢を彼らは持っていなかったように思う。美術の教師たちは「観る」側ではなく、作品の創り手だったのだ。 そもそも、作品を鑑賞するというのはいかなる行為なのだろう。それは映画やダンスや演劇を観るように娯楽なのか、未知の文化や図像を体験する学習なのか。 今風に言うならば、「癒し」として美術鑑賞が行われる場合もある。 ぼくは三十歳を越え、ふと現代美術を観ようと思いたった。「観る」こともまた表現者としての勝負なのだと心がけてきた。作家が何故それを創造し、何故その作品がいま・ここに存在するのかを全力で思考しようと自らに言い聞かせてきた。 では富永が表現しようとしているものは何なのか。 ここに展示された作品からは(そしてまた以前に観た作品からも)、マチエールしか立ち上がってこない。マチエールとしての絵画、マチエールを現出させるためのマチエール。 これは自家撞着である。《何も表現していない》ということだ。おそらく富永には、抽象表現に至るための必然的な思想というものが欠落しているのだ。 具象と抽象を小器用に描き分けているつもりなのだろう。自分たち以降の世代には、もはや具象と抽象というような区分は存在しないなどとうそぶく。 ごもっとも。富永には具象/抽象の二項関係などありえない。何故なら富永が抽象と称している絵画は、本質的に《抽象ではない》からだ。 アートは見えないものを見えるようにする魔術である。けれども、目に見えないものはどうしたって見えるわけがないのだから、それは見えるものを媒介させて提示するしかない。 言葉にならないもの、具体に至らないもの、存在しえないもの、それを表現することの不可能性と苦闘する者の武器が抽象表現である。 抽象表現作品という知覚の扉の向こう側にあるものは何なのか。 重ねて言うが、富永の作品には向こう側=抽象はない。その意味で富永のマチエールは表現ではなく、提示される一技法にすぎない。 美術家のGDHは富永の人物画(具象絵画)から、女性に対する性的暴力衝動を読み取った。ぼくも同感だ。富永がよく用いるドリッピングの技法にしても、これが射精のメタファーであることは明らかだ。ミューズに背を向けられた芸術には作者に潜在する情動が露骨に顕れる。 だからぼくは思うのだ。"何、これ?"、と。 |