ART CRITIC / CRITICAL ART #322 

ギリシャ国立劇場訪日公演  「メデイア」


 なぜだろう、なんでこんなにスカスカなんだろう。
 舞台上の空気が薄い。普通だったら空気の密度がどんどん高くなって、空間自体が一種の質感を獲得するはずなんだけどなあ。ただもうカラッポなのだ。

 小耳にはさんだ情報によれば、これは大衆演劇だそうだ。大衆演劇と大衆演劇ではない演劇の違いはどこにあるんだろう? 大衆演劇の反語って何?
 あれあれ、驚いたね、有料のイヤホンガイドがあるよ。歌舞伎みたいだね。あ、てことはやっぱり大衆演劇?

 なんだい、これじゃ主演女優の一人舞台じゃないか。主役のメデイアを演じたカリョフィリア・カラベティは写真よりも全然美人。おのれはそんなところしか見とらんのか、と言われるかもしれないが、いやおうなしに意識が主演女優に収束するような演出になっている・ので。
 でもぼくはノリそこなってしまった。全くイイと思えなかった。彼女の演技が熱くなればなるほど、ぼくとのサイキック・ディスタンスは開くばかり。なんにも伝わってこない。メデイアは悲しみ、怒り、憎み、叫ぶ。あーあ、この女優ったら、また狂ったふりをしているよ。だめだめ、その手の芝居はもう使えないよ。そういう感想。

 パンフレットによると、メデイアは当時は男性の特権であったロゴスを駆使して、彼女を裏切った夫イアソンと対決しているらしい。そうか、これは言霊の戦いなんだな。ということは、言葉を共有することが出来なければ、この舞台にも共感出来ない? ロゴスが通用する内部では、この劇は効力を持っていたのかもしれないな。ぼくはギリシャ語が理解出来なくて、視ることでしか関われなかったので、ロゴスの「呪術」が発動しなかった?

 なんだろう、この「安物」の感覚は。イアソンが後方の壁の上にすっくと立って登場するキメのシーン、脱力した。ひゃー、かっこわるうー。
 たぶん不満の最大の原因は、シアター・オリンピックス後遺症だ。あれとこれとを比べてしまっている。ブラジルの劇団、テアトロ・マクナイマが演じたギリシャ悲劇『トロイアの女』、あの舞台の女優たちを観てしまったあとでは、『メデイア』の俳優たちの嘘っぽさが耐え難い。
 あ、例外が一人いる。幕開けから最後まで、ずっと舞台に登場している黒衣の女優。この人は台詞がなくて、時々、鳥の鳴き声にも似た、呪詛のうめき声というか苦悶の吐息というか、異様な声を発する。彼女は素敵だったな。最初に現れた時、彼女が主演女優かと思ったよ。

 結局これってフェミニズム演劇だったのかなあ?


今日の御挨拶  Kim-pittさん(映画狂・ウェブマスター)/山本肇さん(グランシップ館長)/Fさん(※実名公開OKでしたら連絡ください)
今日の目撃  本原章一さん(SPAC)


ギリシャ国立劇場の「メデイア」は、
1999年7月6日、静岡・グランシップ中ホールで上演された。


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