シアター・オリンピックス観劇記 #16 Ayame−鈴木大治

王よ、これが我々の時間なのですね。たとえこの場が戦場で    
目の前に死骸の山があろうとも、あなたがそうおっしゃるのならば、
ここは「楽園」に違いないのです。わたしはあなたを信じます。  
そしてわたしがあなたという存在を言葉に置き換えるとき、    
その言葉は真実となるのです。                 

───────KONORI sp.『治癒の森へ』

SPACカンパニー 『リア王』 グランシップ静岡芸術劇場 5月29日



 ハイナー・ミュラーといえば『ハムレット』、ピーター・ブルックならば『真夏の夜の夢』が即座に思い浮かぶ。シェイクスピアのテクストの独創的な読み直しで、作品を再創造することが、歴史に名を残す演出家の条件なのだろうか。鈴木忠志は『リア王』で、その名を不動のものにしたか。狂気女優の生き霊を調伏したのか。

 面白くない。なぜぼくにとって面白くないのかも判っている。テクストの理解を放棄すれば、これはこれで魅力的な舞台である(だった)はずだ。様式化された俳優の身体運動と演技術、美しく豪奢な舞台衣装、鮮烈なライティング。伝承可能な形式が、完全に準備されている。けれどもここからは個別特殊性が減衰している。つまりキャラが立っていないのだ。俳優は交換可能。だれが演っても同じですか?

ううっ、だんだん眠くなる・・・・眠くなる・・・・

 「世界は病院である(『オペラ リアの物語』チラシ、キャッチコピー)」だって? 「それも単なる病院ではなく、精神病院である(『リア王』パンフレット、演出ノート)」だって? 莫迦にすンな! そんなの夢野久作が『ドグラマグラ』(嗚呼、気の毒な桂枝雀師匠。その虚像と実像の間で精神を引き裂かれてしまった生真面目な芸人。映画『ドグラマグラ』で演じた正木博士を地でいってしまったのか。合掌、そして閑話休題)で書ききったことじゃないか。そんなの六十年代以降の反新劇(あえてアングラ演劇とは言わない)が、さんざん使いまくったモチーフじゃないか。そういう悠長なこと言ってられる場合かよ。ぼくたちは黙示録の時代を生きているんじゃないのか。
 ぼくたちの日常の内に「我々が想像すら出来ぬような狂気が現実に存在する(ハーバート・ブラウ)」のであり・・・・、あっ、畜生、急に頭にきた、無性に腹がたってきた、そうかいそうかい、そうなのかい、世界は病院なんだな、ぼくも病人なんだな、だから『リア王』の客席で舞台に向かって罵声を浴びせても仕方がないよな、病人だもんな、いけませんか、客席で騒いじゃ、え、眠るなら構わない、ああ、そういえば前に鈴木忠志さんおっしゃっていましたもんね、能の観客の九割は客席で眠っているって、ぼくは木戸銭払って座席の権利を買っているんだぞ、指定席ってそういうことじゃないのか、そこではぼくは限りなく自由なんじゃないのか、うん、たしかに携帯電話やポケベルのスイッチを切れとか、ビデオや写真撮影や録音は遠慮してくれというアナウンスはあった、でも舞台に呼応してはいけないなんて言われてないぞ、ぼくは別に舞台を妨害しようと思っているわけじゃない、おかしければ笑うし、登場人物が理不尽な事を言えば怒る、舞台上で殺人が行われそうになれば「やめろ!」と叫ぶ、それがいけないことですか、殺人は止めるべきじゃないですか、世界が病院だと言うことは、劇場の内部も病院なんですね、舞台も客席も病院なんですね、俳優も観客も病人なんですね、だからぼくは病人としての自覚を持って舞台を観に行きます、SPACの俳優って腕っ節が強そうですね、気に入らない観客を殴っちゃったりするんですか、昔はそういう劇団、よくありましたよね、ぼくたちもやりましたよ、客席でヤジをとばしたし、ヤジをとばす観客をなぐっちゃった、訴えられなくてよかったですよ、どうなったでしょうね告訴されたら、傷害になったでしょうかね、でもどうするべきなんですかね本当は、演劇って我慢して観るものじゃないでしょう、いいんですよ中途で席を立っちゃっても、他の観客にぼくの立場をアピールしても、どうしてぼくはそうしないんでしょうか、なんで舞台に向かって叫ばなかったんでしょうか、それはですね、ぼくが「世界は病院である」とは思わないからなんですよ、観客全員が、たとえそこが精神病院であっても、演劇を成立させるために自らを律しているから、たとえそこが精神病院であっても、演劇を成立させるその一点においては意志の共有があり、孤立した病人ではない、そしてぼくも彼らを見習っているんです、あー駄目だ、またムカついてきた、「世界あるいは地球全体が病院である」だって、「私も私自身が病人ではないかと疑っている。」だって、あんたそんなことしか考えていなかったのかよ、精神病患者が見たけりゃ精神病院へ行くよ、きっと彼ら病人にはぼくらが想像もつかないような物語があるよ、

「我々が想像すら出来ぬような狂気が現実に存在する(ハーバート・ブラウ)」

畜生、頭を使え、頭を使え、狂気によって突破できるものなんてありゃしない、えっ、ぼくが何に怒っているかだって、SPACに怒っているわけがないだろう、静岡の劇団の馬鹿野郎どもに怒ってるんだよ、お前らシアター・オリンピックス見に来い、バカ。




今日の御挨拶  鮎都さん(女子高生女優)/大坪洋美さん(新聞記者・でいいんですか?)
今日の目撃  鈴木忠志さん/宮城聰さん


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