シアター・オリンピックス観劇記 #22 Ayame−鈴木大治


タガンカ劇場 『カラマーゾフの兄弟』 グランシップ静岡芸術劇場 6月10日



 ロシア演劇はすごい。これが演劇であるということにおいて、一抹の不安も感じさせない。疑問の余地なく、完璧に演劇である。なかば伝統化された演技術というものがあり、それを駆使する俳優たちによって予定される演劇を、軽やかに破壊してゆく演出術が他方にある。
 そこに近代劇の範疇から逸脱しえなかった『かもめ』との差異がある。『カラマーゾフの兄弟』は「解体」を内在させているが故に、モダンなのだ。
 観客席を裁判の傍聴席に見立てる演出で、観客は舞台上の世界に取り込まれる。客席と舞台の境界線が突き崩される。その結果現れるのは、「演劇」という領土の拡張である。観客は「非日常空間」として演劇を観察しているのではなく、「日常」の延長の演劇を体験している。前衛劇が開拓し、育んできた手法の成熟と収穫。様々な意匠が見事に結合している舞台であった。

 ペレストロイカ以前から活動している演劇人は、純粋芸術家らしい。「演劇」以外の事はなにも知らないのだ、とも聞いた。「演劇」することが日常である人々が行う「演劇」は、決して「非日常」にはならないのだろうか?

 だがしかし、『カラマーゾフの兄弟』は王道を進む「演劇」である。だがしかし、それでもなお、ぼくはボンヤリしてしまう。ここでぼくが感じたのは、セスク・ゲラバートの『黄金?分割』を観たときの感想と同質のものだったのだ。完璧。だからなんなんだ?
 面白いし、力強いし、新鮮だったし。ほやくスジなどどこにもない。だがしかし、それでもなお、ぼくはボンヤリしてしまう。「演劇」の秘密は、秘蹟は、神秘は、謎は、いったいどこへ行ってしまったのか?

 彼女ならこう言うだろう。「この大馬鹿野郎、すっトロイ男だねェ。あんたは人がワカラナイと言うものをワカッタと言うことでワカッタような気になってるだけなんだよ。あんたのような奴がいるから、訳のわかンないゴミを作っているタチの悪い芸術家がイイ気になるンだ」。
 そーかなー? 自信がない・・・。



今日の御挨拶  本間博章さん(フリー裏方 2000.02.27呼称改訂)/ダニエル・デノワイエさん/ジョン・ノブスさんご夫妻/木村幸男さん(映画狂+ウェブ・マスター ※木村さんがかかわっていらっしゃるウェブサイトは、破滅的に痛快である。字ヅラ通り、「痛い」ほどだ(^o^)/~~~~~)/大久保満男さん(芸術支援者)/岡康史さん(劇団午後の自転)
今日の目撃  鈴木忠志さん


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