シアター・オリンピックス観劇記 #24 Ayame−鈴木大治


シンポジウム『文学、演劇にみる人間の悪』  グランシップ11F会議ホール 6月12日
中村雄二郎/小森陽一/福田和也/持田季未子



 あああ、シアター・オリンピックスも終わってしまう。「トロイアの女」、サイコーだった。夕べ、友人たちに電話しまくった。この演劇を観なくちゃ二十世紀は終わらないぞ! もう一回観ようと思って、今日、チケットセンターに電話したら、完売だから当日券も出ないという。立ち見でもいいです、と食い下がったが、駄目ですと言われた。そんなはずないだろー、畜生、強行突破あるのみ、と思ったが、なんかすごくムナシー気持ちになっちゃった。たぶん、この静岡で今、誰よりも「トロイアの女」を観たい、いや、生きるという営為において「トロイアの女」の観劇を必要としているのはこの俺だと自信を持って言える。嗚呼、何故ですか、演劇の神様。エリエリラマサバクタニ。一回観りゃ充分って事ですか。お前は客席の側になんかいるんじゃないってこってスか?
 その代わりにシンポジウム観てる俺。なんかみじめすぎるんじゃない?

 いま・ここで、「悪」とはなんぞや。中村雄二郎先生(鈴木忠志さんの仲良しさん)、オウム真理教にご執心。でもオウム真理教に「悪」の代名詞を与えて、それで何になるのか、という疑問。オウムという共同体は、七十年代後期以降の旅するテント劇団にすごくよく似ていると俺は思う。ほとんど同じだと言ってもいいくらい、その印象が似ている。あの事件の頃、報道される教団幹部の面構えを見るたび、あ、あいつウチの役者にほしいなって思ってたもん。
 あれっていつだったかな、四月の何日だったかな、尊師がさ、新宿ハルマゲドンを予言したことあったじゃん。あんときさ、俺、この予言はなんとしても阻止しなければいかん、と奮起してさ、わざわざ新宿まで行っちゃったよ、夫婦で。サイキックウォーズ。ホント、死の街だった、その日の新宿。無人の通りに、機動隊と警官だけが延々と整列していてさ、空気がピキーンとしてた。で、俺たち夫婦は、とにかく新宿へってンで、何してかというと、場外馬券売場にいた。後で聞いた話だけど、同じその日、知り合いのテント劇団の連中が、新宿の喫茶店でミーティングをやっていて、「オウムの後ではもはや演劇など成立しない」と大激論を戦わせていたらしい。もしもあの地下鉄でまかれたものがサリンではなく、芝居の台詞であったなら、見事な市街劇が出現したはずだと俺も思うよ。
 直感で言わせてもらうけど、六十年代以降のいわゆるアングラ劇団は、オウムに吸収合流したような若者たちによって支えられてきたんじゃないのかな。いわゆる「悪場所」として演劇が機能していてさ、構成員たちに物語を与えてくれたんだけど、八十年代中期以降においては、バブル経済の興隆に反比例して瓦解していった「演劇」の代用物がオウムだった。というのが俺の考え。

 現在、悪が見えにくくなっているとパネラーたちは言う。演劇は悪を表現出来るのか、というのがこのシンポジウムのテーマのひとつでもあったようだ。なーに言ってンですか、「演劇」そのものが悪なのではないですか? 二十年くらい前には、演劇を志すこと自体が「ろくでもない行為」だと世間一般でも思われていたはずなんだけど。乞食のやるもンだ、とか、お前はアカか、とか。第一さ、民衆(観客)は観客席で発言の機会を奪われているじゃん。黙って観てろ。これが抑圧装置でなくて何なのですか? お前ら、もっと真面目に考えろ。

 1976年だったか1977年だったかな、静岡市大岩の静岡大学跡地で、黒色テント68/71が「阿部定の犬」の公演を行っていた。客席で、酒に酔った(ト思われる)オヤジ(労働者)が、舞台で「阿部定」を演じる新井純に向かって、「姉ちゃんきれいだなー」と何度も呼びかけていた(高校生の俺も思ったよ、新井純、きれいだなーって)。オヤジは学生(インテリ+ブルジョア)によって劇場(テント)から叩き出された。なんでー? 演劇ってこういうの、こういう暴力って容認するんですか? きれいだなーって思ったとき、きれいだなーって言っちゃいけないんですか? だから俺は演劇が嫌いなんだよ、バカヤロー!!

 終わった、俺のシアター・オリンピックス。



今日の御挨拶  大坪洋美さん(新聞記者)
今日の目撃  平田オリザさん


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