Notes / Post-apocalypse  ■  #***

水銀座『看護婦の手紙 その2 (「銀の牙)断片』 2010年1月23日 みろくさんぶ

演出ノート AYAME-鈴木大治

『看護婦の手紙』は一人芝居ではない。演劇のモノローグシーンを一人芝居とは言わぬように、『看護婦の手紙』は一人芝居ではない。『看護婦の手紙』はモノローグでもない。『看護婦の手紙』には「最小」二人の登場人物がいる。その登場人物の一人の台詞を「台本上から」消したのが『看護婦の手紙』である。

『看護婦の手紙』は「断片化」された「大きな物語」である。

断片化された事で、「物語」は小さなものになっただろうか? 安全無事な演劇ならば、部分が全体を超えることはない。しかし私が「物語の断片化」で構想したのは、「圧縮演劇」である。私はこの発想をJ・G・バラードの「濃縮小説」から得た。

『看護婦の手紙』には複数の物語が圧縮されている。例えば文学ならば『千夜一夜物語』の入れ子構造を思い浮かべてほしい、例えば美術ならばジョゼフ・コーネルのボックス・アートを意識してほしい。

圧縮された物語は観客の意識の中で解凍される。だが、テキストにはいくつもの罠が仕掛けられている。正しく物語を開くためには、観客は傍観者であることをやめなければならない。

私がこのような言い方をしてもよいのは、私が、演劇を演劇たらしめているのは観客だと考えているからである。観客は演劇の一部である。演劇は観客の存在、観客の視線によって演劇として成立するのである。演劇の外側に立つ傍観者は、おそらく罠にとらわれるであろう。

サブタイトルに「銀の牙 断片」とあるように、『看護婦の手紙』の「大きな物語」は『銀の牙』である。『銀の牙』は水銀座が1983年に上演した(水銀座はこの頃は劇団水銀8? スイギンハッカニブンノイチ を名称としていた)。物語の舞台は昭和11年の帝都。軍部のクーデター未遂事件と猟奇殺人事件が交差し、テロリスト、探偵、スパイ、大陸浪人、心霊術者といった謎めいた人物が入り乱れる、B級活劇を擬したダークロマンだった。初演の後、『銀の牙』は明治から近未来を通底する「大きな物語」の一部として再構想される。2000年の「水銀座大見本市」に於いて、私は全八部に及ぶ『銀の牙』構想を開示した。物語が終焉した時代に、あえて「大きな物語」の復活をもくろんだ訳だが、これを困難にしたのが「9.11同時多発テロ」だった。

21世紀に「演劇」は可能なのだろうか。震災の廃墟で「演劇」が可能なのだろうか。私は十年考えた。結論とは言えぬが、ひとつのヒントはある。90年代半ば、分裂したユーゴスラビアは深刻な内戦状態にあった。特にボスニア・ヘルツェゴビナは悲惨な状況だった。爆撃と狙撃で首都サラエボには連日血が流れていたが、その中で市民は演劇の上演を企画し、世界の演劇人にメッセージを送った。その思いを真正面から受け止めたのは、スーザン・ソンタグだった。彼女は戦火のサラエボに乗り込み、市民たちと共に、二十世紀演劇のうちでも最も難解だと言われる『ゴドーを待ちながらを』上演した(ちなみに鈴木忠志はサラエボからの招聘を断った)。絶望のさなかで「演劇」に何が出来たのだろうか。私には「演劇」が希望であったなどとはとても思えない。だが、そこになんらかの「意味」があったことは確かだと信ずる。

演劇を演劇たらしめているのは 演劇を待っている 人々である、すなわち演劇を求める観客である。9.11以降、私たちの精神は瓦礫の下に埋もれている。もしもまだ心が死んでいなければ、そしてここにいるのだと微かな声を発しているのなら、演劇は不可能ではない。