daily  AyameX  2000 01-06

6月24日
衝撃! ペヨトル工房が解散(倒産とは違うの?)。この出版社とはずいぶん長いおつきあいだった。演劇、美術、音楽から屍体写真にいたるまで、八十年代に勃興したオルタカルチャーは、ペヨトル工房が一手に引き受けていた(A5サイズの宝島と双璧って言った方がいいのかな。もう15年以上前の話だけど)。WAVE、夜想、バロウズ、レコードもずいぶん買ったな。お金に困って、ほとんど売ってしまったけど、銀星倶楽部のノイズ特集だけはいまだに手元に残してある。この本はノイズ・ミュージックのハンドブックとしては、現在もなお最高のものだ。このままでは在庫は断裁せざるをえないようだ。なんとかならないものか。何か俺に出来ることはないのだろうか。例えばここで俺が小口の注文をしたところで、その注文に対応して処理するコストのほうが、販売利益を越えてしまうらしい。こういう経済の現実の前にはなすすべがない。どうする? 出版の現状をペヨトル工房ホームページで知ってもらいたいと思う。

6月8日
ジョン・ダニングの『名もなき墓標』を読むがぱっとしない。たしかにアーミッシュを題材にするという発想は、「刑事ジョン・ブック」より早かったんだろうけど、それだけじゃねえ。『死の蔵書』以前の作品はパスだな。

5月20日
自殺には殺人罪が適用されるのかな。被害者と加害者が同一の殺人罪。それから苦痛がなければ人間はもっと安易に自殺してしまうだろうか。

(けんしんさんも読んでいる)『ハンニバル』トマス・ハリスを讀了。壮絶に凄惨。なにもかもが悪夢だ。呆然として絶句した。しかし、しかし、全てが具体。超自然の脅威や正体不明の恐怖はない。いまそこにある具体的な暴力。どうして読んでしまったんだろう、と後悔する気持ちもある。越えてはならない倫理のラインが完全に消滅している。

読み進むうち、次第に怪物レクター博士に肩入れしてゆく俺。ああそうだったのか、それでレクター博士は、と共感。やばいぞ、危険だぞ、いいのか、支援して? 例えば、捜査官が犯罪者の犯行過程を追尾できるということは、両者において思考が共有されているということ。犯罪者の心理が読めるのは犯罪者の資質が潜在しているからか?

俺は、人は人を殺すものだと思っている。「なぜ人を殺してはいけないのか」という子供の問いにも、大江健三郎のように憤慨できない。それでも決して現実の殺人者に共感するようなことはなかったし、社会や環境の「悪影響」から「不本意にも」殺人を犯してしまったのだと居直るような、因果律を盾にする殺人者を心底軽蔑している。盗人にも三分の理? 

だが科学捜査の基礎は因果律なのだ。現場に指紋が残るのも、体液から個人が特定できるのも、みなそこに因果律が働いているからだ。エントロピーに逆行して時間を辿る。因果を遡って行く。すると必ず出発点がある。もしもそのスタート地点が少しでもずれていれば、こんなゴールには到らなかったのだと考えると、個別の犯罪者よりも現実の世界に対して怒りがこみ上げてくる。
でもなー、
そうなると社会の歪みが犯罪を生むんだって説を認めちゃうことになるもんなー…。なんてこった。因果律を持ち込んだために、正当化される殺人とそうでない殺人を想定している。レクター博士を理解したかのような錯覚。この気まずさ。
くそ、被害者の痛みはどうなるんだよ。

趣向を凝らした殺人ってなんなんだ? 他者に苦痛を与えるってどういうことだ? 他者の苦痛は己の快楽? 本当にそんな連中が野放しになってんの? あーあ、自己防衛しかないのかな。路上でいきなりモンキーレンチで一撃されるの嫌だもんな。

『ハンニバル』は全編、嗅覚と味覚へのアプローチが強烈な小説。以下の引用は芝居者への挑戦的な一節。ちなみにネタバレの恐れはない。

晩餐は概して味覚と嗅覚に訴えるものだが、この二つは人間にとって最も古く、精神の中核に最も近い感覚だ。この味覚と嗅覚は、精神の中でも〈憐憫〉の上位に立つ場所におさまっている。したがって、わたしの食卓に〈憐憫〉の居すわる余地はない。と同時に、大脳皮質のドームにおいては、教会の天井に照らしだされるもろもろの奇跡のように、晩餐に伴う行事や光景や会話が繰り広げられる。それは演劇よりはるかに興味深いものになり得るのだ

5月13日
『トンデモ本の逆襲』でさんざん笑った。ポーの『モルグ街の殺人事件』を読んでいたら、探偵氏の論理・思考の展開にふと「?」がうかび、で、いきなり「と学会」というのも妙だが、とにかくそうなった。つくづく思うのは、論理的な手続きの正しさは結論の正しさを保証するものではないということ。前提となる命題に誤りがあれば、どれほど厳正な手順で論証を進めても結論にはたどり着かない。やっかいなのは、たまたま正しいゴールに行き着いてしまうこともあるということだ。

レイトショーは『ロミオ・マスト・ダイ』。初日。ああっ、このタイトル、「野獣死すべし」じゃなくて、「ロミオとジュリエット」だったんだと驚き。開演時、客席はこの時間にしてはかなりの混みようで、ベストポジションが確保できなかった。前列から二番目。でもエンディングのクレジットの途中で振り返ったら、もう誰もいなかった。ご不満でしたか?

5月11日
『羊たちの沈黙』が見つからなくて、今日もジョン・ダニング。『幻の特装本』を讀了。連想するのは村上春樹。翻訳文体のためか、主人公がどこか根暗なキャラのためか、消えちゃうヒロインのプロットのせいか。楽しい読書。

5月9日
ジョン・ダニング『死の蔵書』を一気読み。こんなに面白い本をいままで毎日、背表紙だけしか見ていなかったとは不覚。
古本屋に転職する愛書家警察官。うぐぐ、本の虫にはたまらん設定。レア物に関する蘊蓄もさることながら、主人公がベストセラーの小説を評す一言がまたいい。クーンツやバーカー、ボロホロ、キングも…。『羊たちの沈黙』は絶賛。『レッド・ドラゴン』もポイント高いがぼくとは相性がよくなかった。あれれ、『羊たちの沈黙』読んだかな、映画を観たので読んだつもりになっていたのか、とボケのモードに。新作も出たことだし、ここはひとつトマス・ハリス、やっつけますかな。

5月8日
過食が甚だしい。心因性か。なすすべもなくスペースシャワーTVを漠然と見ている。
るなしーのイントロ、スピッツに似てる。すずらんのプロモかと思ったらCoccoだった。宇多田ヒカル、いいと思っちゃった。何を迷っているんだ、俺。

5月6日
今夜もレイトショー。『ボーン・コレクター』を観た。サイコなシリアルキラー映画はもういいかな。後味悪い。ピーター・ガブリエル+ケイト・ブッシュの歌声でかろうじて救われた。設定は面白いんだけどな。アームチェア・ディテクティブの変種。オタク捜査官。犯人もオタク。そして警察官ってのは潜在的な犯罪者だってことが公準化される。日本も同じだ。

アメリカでは相当な量の犯罪小説や犯罪実話が出版されている。以前、犯罪のノンフィクションが専門のシカゴの作家に、彼の書斎を拝見させてもらったが、その蔵書数には仰天した。しかも膨大雑多な資料が素晴らしく整理されていて、彼は研究者であると同時にコレクターなのだなあと感服した。
俺もあのように整然とした日々を送りたいものだと内省してはいるのだが、いまだに埼玉連続少女誘拐殺人事件犯人自室のようなありさま。

それにしても。『ダーティ・ハリー』がその後のサイコ・シリアルキラー映画を決定づけたのだと得心した一夜でした。

5月4日
レイトショーで『グリーンマイル』を観る。10時からの回。映画館を出たら、とうに1時をまわっていた。よく見る俳優がずらりと出ているのに、トム・ハンクスとハリー・ディーン・スタントン以外、誰一人名前が判らない。忘れたわけではなく、はなっから知らないのだ。パンフレットを買わなくなったためか、学習能力が衰えているのか。
いまやトム・ハンクスとセットの感があるあの男優の名は? 『アポロ13』にも『フォレスト・ガンプ』にも出演していた俳優。本編の前に上映された別の映画の予告編でも見たのに名前が判らない。
そういえば目白で、ゆかた姿の小さん師匠とすれ違った時、とっさに名前が思い出せなくて、あ、誰だったかな、この人知り合いだよな、えーと、とにかく挨拶しとかなくちゃ、ってんで「こんにちは」と言ってしまったことがあった。

4月27日
ちっぽけだ 俺は ちっぽけだったんだ(from『バガボンド』第6巻)、と今日またしても思いしらされた。ここでデニスのプロフィールをちゃんと読んだんだけど、デニスってとんでもなく凄い人じゃないか。今まで全然知らずにつきあっていた。だからって別につきあい方が変わるわけじゃないんだけどさ。うーん、俺の性根はなんとかならんものか。

4月25日
流行の音楽にうとい。たまたま商店街の有線放送を耳にして、あれれ、小田和正っていつからこんな声になっちゃったの、と思ったが、どうも違う。なんとかMCって奴かなと、うーん、でもないな、ってあれこれ考えていた。今日、ビデオクリップを見て知った。小柳ゆき、『愛情』。ええっ、女性だったんだ? いや、待てよ、この人、本当に女性なのか? カストラータとかそういうのじゃ。最近のサイボーグってほとんど見分けがつかないからな。警報鳴ってますよって。黄色い点滅だぞ、小柳ゆきには。

4月22日
「私は生まれついての偏狭な心の持主で、この世をうまく生きて行くためには財政的にわずらわしく、世間の人は広い心を持っているから、悪事も虚偽も、世間の害にならないことなら、考えなく行っているが、それらを見聞するごとに歎き怒らなくてはならない。書物を読めば古代だけがしのばれて、今の世をいやだと思い、文芸の世界に遊べば、古代の人は上手も下手も高邁な心を持っていると思って、今の人の目のつけどころを軽蔑して心が楽しまないで、年月をいたずらに暮らしている。 上田秋成」
こ、これって俺だよ! って太宰治に感激する中高生みたい。へへへ。上田秋成に共感する中高年。とほほ。俺だよ。

4月13日
昨今書籍の寿命はとみに短くなっている。新刊書店は言ってみれば「委託」で書籍を扱っているのだが、返本期日を過ぎてしまうと、その商品は小売店の「買い取り」になってしまう。畢竟、書店は「買い取り」のリスクを避けるため、売れ筋以外の書籍が店頭に並ぶ時間はほんのわずか、あっという間に返本回収。ましてや消滅した出版社の刊行物ともなれば、入手することはまず不可能。
旺文社文庫の志を引き継ぐように、福武書店は怒濤の如く内田百間を文庫化したが、二十一世紀を待たずして消えていった。絶版文庫本は古書市場でも高値がつき、あの時に買っておけばよかったと後悔することしきり。
先日、町の小さな本屋に立ち寄ったところ、奥の書棚に福武文庫の内田百間が数冊鎮座ましましていた。返品できず、そのまま残ってしまったものなのだろう。『まあだかい』を購入。帯には「百間の世界を脚色した黒澤明監督作品『まあだだよ』原典!」とあった。ああ、そういえば、そんなこともあったなあ、と何故かつまらないような思いがした。

4月4日 TORTURE GARDEN 2
夕方5時半から目の前の通りで「夜桜乱舞」が始まる。アーケードのスピーカー、フルボリュームで「夜桜乱舞」の悪趣味な曲を垂れ流し。苦痛甚だし。
露店の女の子、昨日は『今昔物語』を買っていった。ふふふ。ぽっ。

4月3日 boy meets girl?
静岡祭り3日目。露店でチキンの唐揚げを売ってる女の子、メチャ可愛い。ぽっ。

4月2日 TORTURE GARDEN
こんにちは。
ぼくは静岡市にすんでいます。
毎年4月1日から5日までは静岡祭りです。
ぼくはこの祭りで市民が参加して行われる「夜桜乱舞」と云う盛大なダンスイベントが嫌いです。
踊る阿呆に見る阿呆と言いますから、阿呆が楽しんでいるのはそれはそれで構わないし、ぼくは踊らず見ず、という立場で納得しているのですが、門前の商店街に延々と流れる「夜桜乱舞」のテーマ曲3曲が、とてつもなく苦痛です。
この不快な音楽はどうにかならんのか? しずおかのひとたちはこの曲がすきなんでしょうか? 音響的拷問。この曲はぼくにとっては身体的にも有害だと思われます。これらの楽曲が「危険物」であることを、どうすれば証明できるのでしょうか。「嫌煙権」のように「嫌曲権」を主張することはできないのでしょうか?
「夜桜乱舞」の悪魔の楽曲が、既に8時間、絶え間なく脳内に侵入してきます。ぼくは防衛策として、三遊亭圓生の『牡丹燈籠』をフルボリュームで再生しています。
明日もこれが続くのでしょうか・・・
たとえ明日、世界が滅びようとも、あなたは今日、「夜桜乱舞」を踊るのか

3月31日
たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日、リンゴの苗を植える 聖フランチェスコ

3月25日 有る程の菊投げ入れよ棺の中
内田百間(えええ、「ケン」の字がないじゃないか! 代用ですからね、この名は)の『サラサーテの盤』を読み返した。記憶とは違っている所もあったけれど、薄気味の悪さは変わらない。映画『ツィゴイネルワイゼン』のネタ。ついでにその他の短編も読む。こわい。どうしてこわいのか、よく判らないというところがまたこわい・・・。ああ、そうだ、このこわさってソクーロフの映画を観た時の感じに似ている。取り憑かれた時の・・・

3月21日
これはネタばれになるのだろうか? 先日『マグノリア』を観たのだが、ずっと気になっていることがある(3月10日と同じ書き出し・・・とほほ)。あの映画の中に度々現れる「82」という数字はいったい何なんでしょうか?

これはどうだ。 「隆慶一郎と峰隆一郎は、竜雷太と峰竜太のまぎらわしさに似ている」。更に困ったことには、ぼくは二人の俳優の名前がこれで正しいのかどうか、自信がない。

3月10日
友人から『煉獄回廊』という小説を教えられ、ずっと気になっている。なにしろ厚いし二段組だし、いまだに手が出せない。この本に登場する「天馬団」という劇団は、明らかにぼくの知己の劇団をモデルにしている。虚実ないまぜの物語で、えっここまで書いてしまっていいのか、という事実が織り込まれているというのだが・・・。

3月9日
なんだか追いつめられています。演劇の守護神様、俺に力を! と思っていたら、運命の糸に導かれたのか、するが書房で『不条理の演劇』という本が目にとまり速攻購入。いきなり序章で見つけたぞ、ハーバート・ブラウ師匠のお名前!! 突破口はここにしかないか? 頭を使え、頭を。

1957年11月19日、ハーバート・ブラウが演出するサン・フランシスコ・アクターズ・ワークショップは、サン・クエンティン刑務所の1400人の囚人を観客に、『ゴドーを待ちながら』を上演した。この作品は、主として作中に女性が現れないという理由で選ばれた。

すると突然、ラジオからベケットの台詞が。
世界中の涙の量はきまっている。誰かが泣きだせば、どこかで泣き止む」。
シンクロニシティ。更に追い打ちをかれるように「ソウゾウリョクハシンダ。ソウゾウセヨ」。ああ、光明でございます。ハーバート・ブラウ、そしてベケット。これはひょっとしたら大人になるチャンスかもしれない。ん? 誰の言葉だ?

数日前の出来事でした。

3月8日
友人がコンピューターを買ったので、相談役にいまぼくが使っている機械とどのくらい性能が違うのかたずねてみた。購入価格はそれほど差はない。どうだ、ズバリ査定してくれ。「そーですねー、軽自動車とロールスロイスくらいでしょうかねー」。ううう。聞かなきゃよかった。

3月7日
完敗である。けんしん恐るべし。「彩の国」でハイナー・ゲッペルスも観てる!! でもそこまではなんとか、かろうじて持ちこたえた。第二回シアター・オリンピックスの観劇数については、ぼくはかなり自信があったのだ。それが・・・、やられた。
『忠臣蔵』『シラノ・ド・ベルジュラック』『エリタージュ』『リアの物語』は、ぼくはパスしてしまったのだが、けんしんさんはキッチリ観ているのだ(あれ?『リアの物語』は観なかったって言っていたかな?)。
「俺もねー、『エリタージュ』のチケットは買ってあったんだけどさー、会場の入り口まで行って急に嫌んなっちゃってさ、観るのやめちゃった」
起死回生を狙ったつもりがハズシた。虚勢を張るとはこのことか。くっ、数の論理では勝負にならん! もう「お前は観ていないだろう、馬鹿」とか言うのはやめます。
しかし一体どういう人なんだ、けんしんさん。その素性がさっぱり判らない。『ルナパーク・ミラージュ(ジェットコースターのやつ)』まで観てるってどういうこと?

3月5日
けんしんさんからいただいたドイツ演劇の資料が興味深い。特に丸本隆の小論『全能の総監督と民主的コントロール? −制度的側面からみたドイツ演劇−』。公立劇場の「総監督=演出家」制度の問題点がコンパクトにまとめられていて、簡潔明瞭。静岡の反SPAC派も親SPAC派も、これは押さえておいたほうがいいぞ。
そうそう、黒テントサイトも楽しい。ノスタルジーたっぷり。でも黒テントが松本大洋にいれこんでるとはね、なんか変。

3月3日
世間をなめていると手痛いしっぺ返しを食うことになる。ハイナー・ミュラーのビデオを持っているの、この界隈じゃ俺だけだぞー、と威張っていたが、愚かであった(ぐっ、2月20日と同じパターン)。けんしんさん(上杉謙信もるろうに剣心も無関係)から「ハイナー・ミュラー・プロジェクト」関連資料をごそっといただいた。けんしんさんは静岡の人だが、「第二回シアター・オリンピックス」が当地で開催されると知り、急遽、東京で行われている「ハイナー・ミュラー・プロジェクト」の研究会(と言うのか、勉強会と言うのか、シンポジウムと言うのか、セミナーと言うのか)に通ったのだそうだ。しかもおお、ピナ・バウシュローザスもしっかり観てるうう! 観てみたいのだよ、ピナ・バウシュ、ローザス、それからヤン・ファーブル。でも「彩の国」まで行かなかった俺。静岡の「演劇やってます」者、お前らシアター・オリンピックス観ろ、馬鹿、ただし己の金で、ト悪態ついていた俺だが、どうも舞台芸術というものがよく判らないので、と身銭を切って「体験する」けんしんさんに頭が下がる思いでした。俺の「シアター・オリンピックス観劇記」も読まれている。あああ、いい気になりすぎていた。

2月28日
400年に一度のうるう年か。知らなかったなあ。! そういうこと急に言い出すなよ。

2月26日
レイトショーで『スリーピー・ホロウ』を観た。おーもーしーろおおい。映画も良かったし、俳優も良かったな。古典的な演技に喝采。クリストファー・リーを出演させるあたり、エド・ウッドがベラ・ルゴシを引っぱり出してきたことを彷彿とさせる。古今の怪奇映画へのオマージュ。ポストモダン映画の白眉。継母のきれいな女優さん、『ストーリー・テラー』の中の一話で、やはり悪い継母を演じていた人じゃないかな。だとすればジム・ヘンソンも視野に入れている? ティム・バートン監督、気になってはいたけど、ついにファンになったぞ。

2月25日
『すっとんしずおか昔話』、一話収録。初めてのナレーション。

2月23日
驚いたな、「青空文庫」。こんなところがあったんだ。

2月22日 今日はこんな日
聖徳太子の命日。アンディ・ウォーホルが死んだ日。ソシュールが死んだ日。デレク・ジャーマンも2月22日に死んだ? ジェネシス・P・オリッジの誕生日。誕生日。

2月21日
ああ、なんてこった!!
今日、西村比呂行さんから聞いた。西村さんが出演しているライブハウスにジミー・スコットが来るんだって。たしかすっげえ小さな店だよ、そこ。まんまデビッド・リンチのロケーションじゃん。行くしかないか。俺、確実に運命に翻弄されてますかね?
『平成11年度静岡県芸術祭 演劇コンクール審査評』なんてちびちびアップしている場合じゃないな。全部まとめて公開。劇団G★JAMVECTOR MANIA劇団夢舞92シアターLABO/1劇団清見潟発条遊戯
よけいなお世話かもしれないが、「発条遊戯」は「撥条遊戯」が正しい。これで「ぜんまいゆうぎ」と読むようだ。なーに言ってやがんでえ。「発情遊戯」でもしてろい。

2月20日
先日「日々」に、『新日本紀行デジタル処理版』のことを揶揄するような調子で書いたけど、とんでもなく、ぼくが浅はかであった。『新日本紀行デジタル処理版 「かわさき 銀河鉄道の夜」』を見て仰天した。アナーキックでアヴァンギャルド、しかもプログレッシヴ・ロック付き。ちくしょおおー、俺の20年間が反古になっちまったぜええ。ケネス・アンガーもデレク・ジャーマンもデビッド・リンチもインダストリアル・カルチャーも必要なかった! 我々には『新日本紀行』があった! で、今日は「平成11年度静岡県芸術祭 演劇コンクール審査評 『TOMO★PROJECT 交狂詩・銀河鉄道の夜』をアップ。
リンチで思い出した。ジミー・スコット、来日するんだって。15回も公演。大丈夫か、ご老人? 音源もジャカスカ売れてるらしいよ。

2月19日 2・26事件、復習しておこうかなあ
『平成11年度静岡県芸術祭 演劇コンクール審査評』、本日は総評をアップしておく。気が向いたらその他も入れるかも。

2月18日 リーク開始!
さあ、『平成11年度静岡県芸術祭 演劇コンクール審査評』、公開するぞ。 まずは静岡総演劇化計画からだ。正しくは(劇)静岡総演劇化計画だと思うが、審査評には前記のように記載されていたので「ママ」でゆく。この集団は「静岡県舞台芸術公演情報 VOL.4」の『舞台芸術あまから評』でもぼろくそに言われていたな。ぼくは観ていない。観なくたって判るよ。この劇団名のセンスの悪さ。

2月16日
平成11年度静岡県芸術祭 演劇コンクール審査評』をゲットした。凄い。容赦ない。この批評に比べたら、ぼくが書いていた文章なんて子守歌。査定されたのは、静岡総演劇化計画、TOMO★PROJECT、劇団G★JAM、VECTOR MANIA、劇団夢舞92、シアターLABO/1、劇団清見潟、発条遊戯。こんな批評されたら、ぼくだったら批評者の先生方の演劇公演に襲撃かけてぶっつぶしてやるけどな。あ、こういうことマジでやっちゃうから、演劇関係の人たち、誰もぼくの芝居を観に来ないんだ。観なけりゃ批評しなくてすむもんね。へへーん、なんてウソですよー。
問題の「審査評」、少しずつ紹介する。

2月15日
小咄一本。生酒一本と物々交換でした。
遊史郎が所属する落語芸術協会のウェブサイトにリンクした。

2月14日 ミレニアムバレンタインはこんな日
香山リカさんのメルマガ、購読始めました。

2月13日 著名人の同名異人。
ロバート・ウィルソンの訃報。一瞬、「えっ、ロバート・ウィルソン死んじゃったの?」と思ってしまった(それはもちろんそうなんだけど)。亡くなられたのはロバート・ウィルソン氏(米原子物理学者、マンハッタン計画指導者の一人)でした。
ロバート・アントン・ウィルソンという人もいる。元プレイボーイ誌編集者、イルミネイタス三部作でポップオカルトの教祖となる。名前だけは知っている。
今年もロバート・ウィルソンが静岡に来る。どうも『モノローグ ハムレット』を再演するようなのだが・・・・。観たいなあ、『ブラック・ライダー』や『モンスター・オブ・グレース』。

2月12日
日中ずっと可楽の『うどん屋』を繰り返し聞く。何度聞いてもあきないね、これが。日が暮れてからはずっとスワーヴ・ドライバーの99TH DREAMを聴く。こちらは鷹匠訓子の影響。可楽とスワーヴ・ドライバー。関連ありやなしや。おっと、小咄はやく一本あげなくちゃ。

2月11日
蟻二郎『幻覚芸術 −LSD、サイケデリック、ラヴ・イン』のコピーが出てきたのだが、前半がない。たぶん前半だけ読んで残りをコピーしておいたのだろう。退屈。

2月10日
『すっとんしずおか昔話』、一話収録。
写真家の松野崇氏から「水銀座大見本市」の舞台写真をいただいた。うーん、芸術である。

2月8日
飛ばし読み・斜め読み、ということが出来ない。中途で止めるといつまでもそれが気にかかっている。なんでこんなものをと思いながら、結局最後まで読んでしまう。『対抗文化の思想』もそのような一冊となった。ローザックは「対抗文化」に全面賛成していたわけではなかったんだな。復刊も文庫化も無用。ぼくは図書館の地下書庫から借り出した。

2月7日
フリーの裏方※2000.02.27呼称改訂(こういう職業ってアリなんだろうか?)本間章博くんがフリーではなくなる、という報告を本人から聞いた。

2月6日
お山で舞台芸術講座。水田宗子「『人形の家』と女性の自立」、菅孝行「『人形の家』と男性の挫折」。あいかわらず「しずおかの劇団」の方々はいらっしゃらなかった。ところで何故いま『人形の家』なのか。

2月3日
無料配布の情報誌にこんなお知らせが載っていた。

椅子募集 3月から4月にかけて、SPACのメンバーが静岡市平沢の舞台芸術公園、稽古場でイヨネスコ『椅子』をモチーフにした舞台を実施。同作品の舞台装置として使う椅子の提供を一般から募集。不要な椅子(できれば木製)を無料で。連絡によりSPACの来宅引取りも可。(問)舞台芸術センターの岩崎さん=電(203)5730。
お元気ですかあ、岩崎さん? イヨネスコ、いいよね。ぼくは『禿の女歌手』が一番好きだな。「モチーフにした」ってところがなーんか気になるんだけど、『椅子』を上演するんじゃないんですか?

2月2日
リズム&バランス元気会総裁と会談。総裁、若干誤作動。

2月1日
またしても知らなかった訃報! どんと、亡くなったんだ。ウェブで某新聞の訃報欄をチェック。ああっ、ヴォクトも死去! 未来は遠くなりにけり。
『すっとんしずおか昔話』、二話収録。でも一本はカエルの役。台詞ではなく声であった。ケロケロゲロ。

1月30日
昨夜はレイト・ショーで『ジャンヌ・ダルク』を観た。2000年の正月映画の中では一番のお気に入りとなった。「幻視」はなんか安っぽいけどね。最後のクレジットで流れる歌がなければもっと良かったな。
ところでフェイ・ダナウェイとダスティン・ホフマンが出てるっての、ちょいと感慨深いものがあった。俺が小学生の時だから三十年も前だけど(あ、28日と同じこと書いてる?)、この二人が共演したアメリカン・ニューシネマ西部劇『小さな巨人』を観た。二本立てで、メインの映画はスティーヴ・マックイーンの『栄光のル・マン』だったけど、『小さな巨人』のほうが強く記憶に残ってる。と言っても「印象」だけが残っているんで、どんなストーリーだったかはからっきし忘れた。その頃『ソルジャー・ブルー』とか『シャイアン』とか『明日に向かって撃て』とか、それ系の西部劇を立て続けに観ていたもんだから、かなり混同している。ああ、そうだ、ダスティン・ホフマンが『卒業』でキャサリン・ロスと共演していて、キャサリン・ロスが『明日に向かって撃て』に出演していて、題名がなんとなく似ている『俺たちに明日はない』にフェイ・ダナウェイが出ていて、『ソルジャー・ブルー』のキャンディス・バーゲンが何故かフェイ・ダナウェイとキャラかぶってるような印象があるんで、もう全部ごっちゃごちゃになってるんだな。『小さな巨人』、ビデオになっているんだろうか?
で『ジャンヌ・ダルク』フェイ・ダナウェイとダスティン・ホフマンだけど、俺、ずーっと彼らだって気がつかなかった。特にフェイ・ダナウェイ。劇場から出てきて、ポスターを見て初めて、あ、フェイ・ダナウェイだったんだって思った。これが俺の「徴」でしょうか。

1月29日
ついに解禁か? 喋ってもいいのかな? ネタバレになっちゃいかんと思って今までずっと黙っていたけど(ちょっとだけもらした、12月18日に)、GOサイン出たか? もちろん『ファイト・クラブ』のサブ****カットですよおおお。俺が気づいたのは4ヶ所。喫茶店で新聞読んだら写真誌の広告が出ていて、ありましたね、そのコピーに、この一件が。ふふふ、詳細はその写真誌、実際に見てからにしよーっと。

昨夜、ジミー・スコットのドキュメンタリー番組をみた。知らなかった、ジミー・スコットってジャズ・ボーカリスト。なんか最近「知らなかった」ことばっか。俺ってぼんやりしてたのかな。来ないでくれ21世紀、まだやり残したイベントが山ほどあるのに、とRPG的に思っちゃうぜ。取り残したアイテムとかレア・カードとかさあ。もうラス・ボスと戦わなきゃならないなんて。
ああ、ジミー・スコットの事だったね。ひとくせもふたくせもある俳優やミュージシャンが、口々にジミー・スコットへの賛辞を送る。ルー・リードと一緒にツアー? どうなってんだ? デビッド・リンチ? ひょっとしたらジミー・スコットってカルト系ジャズマンか? ファンの方々、「天使の歌声」って評する。彼の歌声を聞いただけでぽわーんとなっちゃって、気分は桃源郷。俺にはさっぱりその良さが判らん。でも人にはそれぞれ聴覚のツボがあって、ある種の人々にはある種の「声」がとてつもない快感を誘発するってことは理解できるぞ。なんだ、これじゃ『解体屋外伝』じゃないか。

話はかわって、こういう文章を見つけた。
「65歳で天逝した武満徹は、」
これは「夭逝」の誤記だろうかと思った。でも夭逝は「若死に・早死に」の意だから、65歳で夭逝という表現は妙だ。もしかしたらこの書評者は「早すぎた武満の死」という思いから・・・? 辞書には「天逝」は見あたらないが、これ自体は造語として不自然なものではない。意識的に使用した言葉だとすれば、こいつ間違えてやがんの、と指摘する俺の方が愚か。

1月28日
行列ってのは突然できるものだったんだね。近所の肉屋さん、数日前から急に行列ができた。この店であげているコロッケを買うためだと思われる。それまでも二、三人が待っていることはあったんだけど、行列に発展するとは。新規開店の店じゃないんだよ。俺が子供の頃からある(すなわち三十年以上前から)、なーんでもないフツーの肉屋。なんでいきなり行列が?
行列の心理というのがあって、一般に人間は行列をみると、そこに加わりたいという意識が発生するそうだ。本当にそうか? でもあれが気になるってことは、俺も確実に反応しているわけだよな。

1月27日
いとうせいこうの『解体屋外伝』。こんな本が出ていたこと、全然知らなかったぞ、7年間も。いとうせいこうって人はつくづく不遇な作家だと思うな。もっと評価されるべきなのに。
こういう味の小説ジャンルを「ジャンクヤード文学」と名付けることにした。他者のテキストのジャンクヤード。ゴミもお宝もミソもクソも全部等価。「廃墟文学」ってネーミングも考えたんだけど、なんか「ゴチック小説」をイメージしちゃうんで、やめ。「ジャンクヤード文学」の元祖はバロウズ。『ブレード・ランナー』で映像化され、ギブスンが完成させた。我が国では『コインロッカー・ベイビーズ』に始まる。その後、いとうせいこうに引き継がれ、『スワロウテイル(映画の方ね)』や『クーロンズ・ゲイト』に至る。別にこれは「ジャンクヤードには解体屋がつきものだ」って洒落ではありません。

1月24日
友人から「ぢ」の体験談を聞かされた。甚だしい痛みに歩行すら困難になり、これはまずいぞってんで名医の誉れ高き当地の医院で診察を受けた。その報告である。いったいどこまで彼の話を信用してよいものかさっぱり判らないのだが、その恥辱感・屈辱感たるやとてつもないものであったらしい。「お前も中国でよく見ただろう、けつが丸出しになってる子供のパンツ」と彼は語り始めた。診察室で看護婦さんから、股の所に切れ目が入ったパンツを渡された。「これにはきかえるの?」。いきなり混乱に陥り、上着を脱ぎだしてしまい、それを注意される。「くくっ、この看護婦さん、俺が診察とプレイと勘違いしていると内心笑ってるぞ、きっと」。そう思いだすともういけない。プレイ、プレイと頭の中でリフレイン。「はーい、じゃ、いつものような排便のスタイル、してくださいねー」と看護婦さんの明るい命令に従うまま。その診察(彼はプレイと言っていたが)のすべてが、自尊心を粉々に砕く試練であった。「ガラス板の上に立たされて下からビデオで撮られた」。おいおい、それってホントにプレイだったんじゃないか?
「俺の人生は終わったぜ」と彼は「ホント」に元気がない。彼の新説では「ぢ」の治療を体験すると、マインドがフリーになるのだそうだ。「会社の宴会や飲み会でさ、もうはなっからどーんと裸になっちゃう奴いるだろう、みーんなぢの経験ある奴ばっか。俺もね、そーなるよ。俺もう恥ずかしい事なんてなーんにもないもん」。
どこまで信用してよいものか判らないが、「ぢ」が決して他人事ではないということはよーく理解できた。痛いくらいに。ちょっとでも違和感をおぼえたら病院へ行けとその友人は忠告してくれるのだが、でもなー、彼の「プレイ体験記」を聞いた後では・・・。なんか妙に不安である。

1月21日
『水銀座大見本市』終了。

1月16日
明日から5日間静岡のメディアシティ百人劇場で行われる「一人+α芝居フェスティバル」の舞台設営を手伝う。『水銀座大見本市』のスタッフの弁当は、309のカレーに決定。

1月15日
お山へ。SPACの舞台芸術講座。本日のテーマは「男と女の悲劇と喜劇」。三枝和子と田之倉稔のレクチャー。うーん、『薔薇の名前』を『薔薇の奇蹟』と間違えちゃいけませんなあ。

1月14日
『意識の進化と神秘主義・第2版』を買ってドトールコーヒーで読んでいたんだけど、なんだか「新日本紀行デジタル処理版」のことが頭をよぎる。ついでながらスターバックスはいつになったら静岡に? おっと、こいつもたぶん「ファイト・クラブ」の標的だぞ。

1月13日
今年こそは「みちのくプロレス」観に行こう。それまでいてくれ、カレーマン

1月12日
とんとんとん、と郵便屋がドアをノック。『第2回シアター・オリンピックス公式記録』が届いた。おおーっ、すんげえゴージャスなカタログ! 「シアター観劇トップ賞」だと。マジに受け取っちゃったぞ、俺。

1月11日
『すっとんしずおか昔話』、2本収録。
深夜、某所で西村比呂行のギターソロをレコーディング。昨年の夏に録音した時は、ラップ現象が起きた。ドアを激しく叩く音。今回は何事もなかったが、なにかいる、確かに。

1月9日
レイトショーで『エンド・オブ・デイズ』を観た。うぐぐ、やっぱり暮れに観ておくんだったとしょぼくれる。膨大なノストラダムス本は廃棄されるのだろうか。
閑散とした映画館でベストポジションを確保すると、上映直前に館内に入ってきたアベック(死語?)が、俺の前列に座って視界をさえぎる。いつもそうだ。目の前の席にどかっと座ってしまうようなことはめったにないが、微妙にこいつ邪魔だなというような位置に。何故だ。シートは何百席も空いているんだぞ。それにそういう奴って、入ってきた瞬間に判る。あー、あいつ来るな、来るな、と思っているとやっぱり来る。うーん、こういう俺の心持ちが呼び寄せてしまうのかなー? 結局、俺は予告編の最中に席を移動する。

1月8日
水銀座座員の隼迅太と居酒屋で会い、「水銀座大見本市」の台本を渡す。迅太は1月18日のTOMO★PROJECT公演『マッチ売りの少女』にも出演する。あいかわらずご多忙。同じく座員の心平とキートンも台本を取りに来たが、なんとなく盛り上がりに欠けるのは、女っ気がないせいか? むさくるしい晩であった。

1月7日
SPACのIさんと白土三平の話をしていて、白土が少年マンガの連載で忙しい頃、小島剛夕が白土の手伝いをしていたという逸話を、俺、得意げに吹聴したら、その人(小島)死んじゃいましたねえ、とIさんに言われて仰天した。知らなかった!
昨年新聞の購読をやめて以来、訃報にうとくなっている。既に死んだ連中が、俺的にはまだ生きている状態。これではいかんと思い、本日から「訃報リンク」を活用することにした。


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