シアター・オリンピックス観劇記 #12 Ayame−鈴木大治


オデオン・ヨーロッパ劇場 『小市民の結婚式』  グランシップ中ホール 5月16日



□なんの疑問もなくこれを演劇として観ている自分がいささか口惜しいが、面白いのは確かである。昨今のシチュエーションコメディを観るようだった。愉快。例えば伊丹十三−三谷幸喜のライン。観客もよく笑う。□しかしそれにしても、この作品がブレヒトの手によるものだということを考えると、なにか腑に落ちない距離感を感じる。今は亡きハイナー・ミュラーが演出した、同じブレヒトの「アルトゥロ・ウィ」と比べてみると、その落差は一種異様である。□「我々ドイツ人を」という台詞で、あれ、あんたたちフランス人じゃなかったの、これはフランス人の結婚式じゃなかったんですか、とか、「ブレヒトの『バール』を観ましたか」なんてくだりで、ブレヒト言うところの異化効果が発動してるのかとは思ったが。□パンフレットに記載された演出ノートには、「家路につく豚」(=小市民)という言葉がある。だがこれが果たして観客に受容されたのだろうか。なんの疑問もなく、『小市民の結婚式』は自明の演劇として通ってしまった。■数年前、ぼくはある集会で鈴木忠志さんに、「ぼくがマスメディアの報道から得る情報から推測する限りでは、シアター・オリンピックスは特定の傾向を共有する演劇人によって組織されているという印象があるが、それについては(メディアに対して)どのように思うのか」という質問をして、激しく叱責された。ぼくの質問の主旨はカッコ内のことであったのだが、鈴木さんは何を勘違いされたのか、「無礼じゃないか、きみも芸術家を自認するのなら、実際にそれぞれの演劇を観てからものを言いたまえ!」と、会場の五百人余の聴衆の前で吠えた。ぼくの後方の席で、どこかのご婦人が「そうよ、ホントに失礼だわ。礼儀ってものがあるわよねェ」と言っていた。□でもね、鈴木忠志さん、ぼくの発言を非難だと誤解なさったのはさておき、「実際に観てから」ってのは酷ですよ。だって第一回シアター・オリンピックスってギリシアで開催されているんですよ、それをぼくが観なかったことを責めるのですか? あんた、ぼくがどーいう生活してると思ってンだ。その屈辱もあって、可能な限り観てやると誓った。あっ、畜生、だんだん頭にきた、静岡県の役人、俺たちの税金でギリシアまで観に行ってんだろ、何で俺じゃないんだよ、ハイナー・ミュラーのビデオやハイナー・ゲッペルスのCD持ってんの静岡じゃ俺だけだぞ(たぶん違うだろうけど、そう思いたい)、お前らデビッド・モスの静岡公演、観てンのかよー。あン時はともかく、今の俺にはハーバート・ブラウ先生のサインという強力な守護霊があるンだぞ(笑)。それは冗談だが、税金云々はこの静岡でシアター・オリンピックスが実現されたということで不問にする。で、「特定の傾向を共有」という、ぼくの疑念は『小市民の結婚式』によって払拭された。多種多様ですよ、このプログラム。■ところで今回のシアター・オリンピックス、ぼくは身銭を切って観ているということを強調したいが(当たり前か)、いや、いるんですねー、何本も観ている人。『プロメテウス』の会場で、帰りがけに「よくお見かけしますね」と声をかけてくれた老夫婦は、全公演のチケットを購入したそうだ。二人で十数万円。『小市民の結婚式』の観劇後、久しぶりにあった知人夫妻は、「もうこれで11本目かな」と言っていた。演劇以外にも、モンゴルのホーミーやヌビアの音楽などに足を運んでいるということだった。うん、いるんだよ、舞台芸術を本当に愛する人たちが。こういう人たちはね、俺みたいに声を荒げたりしないよ。□だから、ぼくは叫ぶ。「小市民よ、観てからものを言いたまえ!(あれっ、これじゃ鈴木忠志さんと同じになっちゃったのか?)」。と言ってるぼくも小市民なんだけどさ。えっ、税金払えない人は市民の資格、ないんですか? くくっ、小市民になりたい・・・・。



今日の御挨拶  木村幸男さん(映画狂)
今日の目撃  宮城聰さん/平田オリザさん/マダムOご夫妻/美濃和哥さん(歌人)


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